2013年03月15日

 「問題があることを感謝しよう」


刑事事件の被疑者を接見するため、 

ある警察署の留置場を訪れた。

警察官たちは暇そうで、雰囲気がよどんでいた。

「なんだ、こんなに大勢の警察官がまともに働かないで、

新聞を読んだり、雑談したり、居眠りをしている。

なんという人材と税金の無駄遣いか!」

とため息がでた。


ところが、 二回目の接見の時は、 雰囲気がまったく違っていた。

大事件が起きたようで、 警察署全体が緊張感でみなぎっていた。

担当警部から大声で事件の状況が説明され、 捜査官たちがきびきびと動いていた。

けたたましくサイレンを鳴らし数台のパトカーが出入りしていた。

間もなく手錠をかけられた7人の暴力団員風の男たちが縄でつながれて入ってきた。

凛々しく働いている警察官が非常に頼もしく見えた。


私たちは問題が起きると、

「あぁ、いやだなぁ」

と否定的に受け止めてしまう。

難しい問題の場合には、

「あぁ、ダメだ、もうどうしようもない!」

と悩み込んでしまう。


でも、 よく考えてみると、 どんな問題にも、 積極的な意味がある。

入学試験であれば、 問題に正しく解答すれば志望校に合格できる。

入社試験、 留学試験、 昇級試験、 運転免許試験、、、、

試験と名のつくものは、それぞれ積極的な目的がある。


仕事や職業のほとんどは、 問題があるから存在している。

例えば、 法律のトラブルがあるから弁護士が必要とされる。

犯罪があるから警察官、 検察官、 刑務官が必要だ。

病気があるから医者や看護士がいる。

教育の問題があるから教師や研究者がいる。

心の問題があるから牧師や僧侶がいる。

経済問題を解決するために銀行マン、 商社マンがある。

行政問題を司るために公務員が存在し、

法律問題を公正に裁くために裁判官が存在し、

政治問題に取り組むために議員が存在する。


愛の神が存在するのに、 なぜ、いろいろな問題が発生するのだろうか。

聖書によれば、 神が統治する国には、 

殺人も、 詐欺も、 病気も、 貧困も、 争いも、 戦争もない。

神の永遠の愛の世界で、 無限の楽しみを喜び、 無尽蔵の豊かさを満喫できるのだ。

だから、 この世のすべての問題の根源は人の罪にあると言わざるを得ない。

にもかかわらず、 神はすべての問題をその人の益にしてくださると約束しておられる。


まず、 問題に真剣に向き合う時、 その原因を追求せざるを得なくなる。

自分の罪が原因であれば、 それを悔い改めることができる。

他人の罪が原因であれば、 その人の悔い改めを促すことができる。

問題解決のために全力を尽くすことを通して、 

自分の眠っていた能力を引き出すことができる。

ついには、 敵を愛し、 迫害する者のために祈るように導かれる。


自分だけで問題を解決できなければ、 人の助けを求めることになる。

そこで、 人間同士がお互いに助け合い愛し合う関係が生まれる。

それでも解決できなければ、 神に助けを求めざるを得ななくなる。

そこで、 神と人間が助け合い愛し合うというすばらしい関係が生まれる。


問題と取り組みこれを解決していく過程で、

新発見、新発明、新製品、新薬、新法、新政策、新制度、新記録、新作品、新曲、、、、

より良い新しいものが生み出されていく。

だから問題があることに感謝しよう。


「耐えられない試練は与えられない」 

と聖書に書かれている。

「どんな試練にも初めから逃れる道が用意されている」 

とも書かれている。

神に助けを求めれば、 

どんな問題も耐えることができ、 

どんな困難も乗り越えることができる。

重圧に耐えながら神と共に問題の解決に取り組んでいくと、

その問題が次々に自分に益をもたらすことを体験していく。

だから問題があることに感謝しよう。


しかし最大の益は、 言うまでもなく、 

全能の愛の神と自分との関係が

限りなく深まっていくことである。

だから問題があることを感謝しよう。

                    



Posted by アブラハムささき at 00:49│Comments(24)
この記事へのコメント
問題はない方が良いですね。

問題が起きると不思議なことに次から次に問題が起きてきます。

しかし、それが自分の問題ではなく 他人の問題だったらまだ気が楽です。

今僕も大きな問題直面していますが、待っていても解決もするはずないと考え、

行動を起こしていますが、指のない方たち等がいて、それこそ間違えれば、東京湾にぷかぷかと浮いているかもしれません。

今 僕が関係している物件は中身は立派な取引ですが、何故か周りは黒服で
サングラス、しかも指なしと来ているから大変です。

でもその事を通らないとビジネスもできません。

人他人に相談しても半分は逃げ腰です。

と言うことは神様しか頼れないんですね。

これは現実です。都合のいい話ですが、苦しい時の神頼みです。

それは問題があったからこそ、神様の存在を大きく感じることが出来るようになりました。
これこそ、問題がある事に感謝できるようになりつあります。

佐々木先生、今回も素晴らしいメッセージを感謝します。

そして最後まで戦い抜きます。    一日感謝、一生感謝と感激のオバマ
Posted by obama at 2013年03月15日 02:16
WOW! オバマさん。久しぶり。
佐々木先生、大きな励ましを頂きました。ありがとうございます。

菅野直基
Posted by パスター菅野パスター菅野 at 2013年03月15日 08:19
ささき先生、メッセージを感謝します。

オバマサンのためにもお祈りしています。

御使いの守りがあるようにイエスの名

によって命じます。へブル1:14 :D
Posted by スマイル at 2013年03月15日 08:22
問題の渦中に入ると、しゃかりきに問題解決をしようともがき、
それが無理だと分かると、不安や怒りや悲しみにどっぷりつかりました。
けれど今、冷静に振り返ることができるように、していただきました。

そこで経験したネガティブな感情にこそ、
私の心の奥底にあった問題が浮上したこと。
問題が浮上したことで、
神様の助けが必要になったこと。
そして問題解決において、
「人にはできないが、神にはできる。」と体験させてくださったこと。
神様と私の、一対一の関係の重要さに気づかされたこと。
全ては益だと気づかされました。

「 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
  しかし今は、あなたのことばを守ります。
  あなたはいつくしみ深くあられ、
  いつくしみを施されます。
  どうか、あなたのおきてを私に教えてください。 」

詩篇119:67-68の言葉を、実感を持って、祈ります。
Posted by haru at 2013年03月15日 08:44
問題はその時はいやなものですが、後になってみると、よかったと思うことがほとんどですね。今とても厳しい問題を抱えていますので、後になってからじゃなく、今から感謝してみます。
Posted by IB at 2013年03月16日 13:47
何も問題がなければ、とろーんとして、生きる意欲が湧いてきません。今の平和ボケの日本がそうじやないでしょうか。韓国は北朝鮮との大問題がありますから、いつも緊張しています。おかげで、国全体に生きる意欲がみなぎっています。その土台としてキリスト教会が国家間の平和と国民の安全を祈っている力があります。
Posted by キム at 2013年03月17日 14:21
竹島問題や従軍慰安婦問題で緊張があった方が、韓日関係の健全な発展のためにプラスになると、私は思います。
Posted by 林 at 2013年03月17日 16:23
日本に来て8年の中国人です。尖閣問題に心が痛いです。この問題が良い結果になったらいいと願います。祈っています。
Posted by 王 at 2013年03月17日 19:21
以前お世話になった牧師先生が、「目に見える現実世界の問題は、
目に見えない霊的世界から起こる。」とおっしゃったことを、思い出します。
その時は消化できなかった言葉ですが、今は色々と考えさせられています。

エバのことを思わされています。
神様の言いつけを破って、「おいしそうな木の実」を取って食べたという・・。
私も、その弱さを持っていると感じます。
自分の目、自分の感覚を優先させてしまい、
「善悪は私が決める!」と思っては、自己弁護と責任転嫁をしてきた・・。

その人類的集大成が、「この時代」の悲惨な歴史なのですよね。
全ての命を創り、愛しておられる神の掟が守られない結果、
「強い者が弱い者を制圧し、欲しいままに振舞う。」流血の歴史・・。
決して、「次の時代」に、繰り返してはいけない歴史・・。
私もまだ抜け出しきれてはいないと感じますが、
その流血の歴史の流れの中で、自分を守るため、
人は、「力を礼拝する」本能、エゴを根強くもっていて、
しかも、そのエゴの存在にすら、自分では気づけないと感じます。
赤い文字を赤いフィルターを通しては読むことが困難なように・・。
気づくことや認めることは、「弱くなる」こと、
この競争世界で「生き場」を失いかねない・・という恐れ・・。
本能的なものですよね・・。

第二次世界大戦の後、
それまでの武力、ハードパワーによる限界を皆が共有し、
ソフトパワー、お金の時代に移りました。
けれど、エゴの原理が同じである以上、
それもまた、一つの限界に向かっていると感じます・・。

イスラエルという特別な国について、改めて思わされます。
神様は強い者ではなく、あえて弱い者を選ばれ、ご自身の民とされた・・。
私自身も、客観視が進む中、思います。
本当に、ただ一方的な憐れみによるのだな・・と・・。
昔は、勘違いしていました。
「私は特別なのだ。」「優れたところのある人間なのだ。」と・・。
恥ずかしい話です。
今思うのは、私は特別物分りが悪いから、
神様は色々な幻やお言葉をくださって、憐れんで、
守ろうとしてくださってきたのだと分からせていただきました。
今は、不思議に平安です。
感謝を忘れたくないです。
Posted by haru at 2013年03月17日 21:59
ピンチはチャンスと言います。
そうなるために必要なことは何だろう?と考えた時、
私が望むことをベースに考えることではなく、
神様が望んでおられることに、焦点を当てることだと思わされています。
主イエスは、
「全ての人が真理を悟り、救われることを望んでおられる。」のですよね・・。
「人が罪赦され、救われるには、イエス様を救い主として信じること。」
なのですよね。

けれど、これだけ情報が錯綜している現代。
私自身、人間関係で深く傷つき悩む中、何もかもが疑わしく思え、
素直に信じることは難しかったですから、
「信じられない」人の気持ちも、よく分かる気がします。
人間の歴史・現実の中で起きてきたこと、起こっていることを考えれば、
「そんな夢物語みたいなこと・・!」と言いたくなるでしょう・・。
でも、主が言われたことは、真実なのですよね。
求めるなら、探すなら、見出される、という御言葉に励まされ、
主に立ち帰る道のりを、今日も歩ませていただいています。
Posted by haru at 2013年03月18日 21:53
「 神について考えるなら心が騒ぐが、神を知るなら心が満たされる。 」

今日のデイリーブレッド(RBCミニストリーズ)の一言に、
ハッとさせられました。感謝です。
Posted by haru at 2013年03月19日 22:12
心の傷が癒されつつあるからでしょうか、
悲しみという体験が、私にもたらした恵みに気づかされています。
悲しみによって、私は、「人間になる」基礎をいただいたのだな・・と。
考えてみれば、ずっと忘れがたかったその人を好きになったのは、
その人の心の奥にある孤独や悲しみに、共鳴したからでした。
それまで「勉強やスポーツができるから」「カッコいいから」等でしか
好きになったことはありませんでした。恥ずかしながら・・。

悲しんでいる時は、その意味とか価値とかを考えるゆとりはありませんが、
振り返る時を頂いて、初めて分かる恵みがあるのですね。
心が深くされ、不要なものが洗い流される体験だったと思います。
イエス様は、この地上で、沢山の悲しみを体験されましたが、
真に愛することを学ぶためには、避けて通るべきではないのでしょうね・・。
イエス様が「苦い杯」を避けないでいてくださったから、
他では望めない深さの慰めをいただいているのだ・・と思わされます。
感謝します。
Posted by haru at 2013年03月21日 22:13
「自分が目指す方向へ歩いていて、ふと横を見たら同じ方向へ歩いている人がいたら、結婚するよ。」先輩クリスチャンが言っていた言葉です。
学生の時はよく分からなかったけれど、今はすごく分かる気がします。
(その先輩は、幸せな結婚生活を送っていると、後に人づてに聞きました。)

「神様にしか埋められない空洞」を、誰かや何かで埋めようとする限り、
誰も、自分も、本当には幸せにはなれないと、自他見て、私は感じます。
「さみしいから、で結婚した人は、結婚後もっとさみしくなりますよ。」と言った
牧師先生のアドバイス、受けとめられるようになりました。
主に感謝します。
Posted by haru at 2013年03月22日 21:18
ある人を助けるために犠牲を払ったら、とんでもない負債を負ってしまいました。その人を恨んだりしても問題は解決しないので、問題があることを無理にでも感謝するようにしました。すると、不思議なことに、私が払い切れない負債を、代わりに払ってくださるという人が現れました。
Posted by S.O.S. at 2013年03月23日 01:13
最近いろいろあって、久しぶりにヨブ記を読み直しました。とても耐えられない試練を通らされましたが最高はハッピーエンド。しかも、二倍の祝福!これが神様のなさり方なのですね。慰められました。
Posted by A.N.K at 2013年03月23日 23:25
心に深い孤独を持った人と関わって、
苦しかったけれど、良かったなぁ・・と思うのは、
自分の心の奥底にあった孤独に向き合い、
主に癒していただく長い道のりを、
歩き始めることができたことです。
あの出会いがなければ、
泣くことは少なかったかもしれないけれど、
気づくことも少なかった、
心の成長もなかった、と思います。

悲しみの中で、主から多くの気づきをいただきました。
その一つは、私達人間は、肉体としては「動物」だけれど、
心・魂としては、むしろ「植物」であることを期待されている・・
「雨風」等のハードコンディションから逃げ回るのでなく、
他の人の心や生活を踏みにじったりすることなく、
神様から与えられるものを持って、耐え忍ぶ中で成長し、
他の人を祝福する存在になることを期待されているのだ、ということでした。

この気づきにふさわしく成長するには、
まだまだ遠い道のりですが、この道を、
主の助けをいただいて、最後まで歩みたいです。
主の約束に期待して・・。
Posted by haru at 2013年03月28日 22:19
中澤利江さんという方の「いのちの花が咲いてから」という
小冊子を読ませていただきました。
小学生の時に、進行性筋ジストロフィーの診断を受け、
様々な葛藤を体験した後、
主イエスにある平安をいただいて生きておられる命・・。

「いのちの花を咲かせる」ということは、
こういうことなのか・・と思わされる証でした。
感謝します。
Posted by haru at 2013年03月29日 22:23
今日のイースターを、色々と振り返りながら、過ごしました。

数年前、主の十字架を歌った歌を聴いていて、
涙が止まらなくなった時、
「センチメンタルな涙は要らない。」という
主の静かな声が聞えたことを思い出し、
色々と考えさせられました・・。

思えば、私の心は長年、自己憐憫に満ちていました。
「自分がしてほしいように、人に対しても・・。」という「愛」も、
今思えば、自己憐憫の延長だった・・と思います。
だから、すがりつき、こだわり続けてしまったのだと、分かりました・・。

最初から、主イエスのように、清く正しく強い愛を実行することは、
凡人の私には不可能ですが、失敗を糧に、成長していきたいです。
Posted by haru at 2013年03月31日 22:45
十字架と復活。今年の受難日とイースターはまさに十字架と復活の体験をしました。問題で死に体になっても必ずすばらしい復活があると思うと問題の存在に感謝できますね!
Posted by オオヤマ at 2013年04月01日 00:52
ちょうどもぐら叩きみたいに、一つ問題を解決して潰したと思うと、すぐに新しい問題が頭をもたげてきます。一生この連続なんでしょうか?とすれば、問題があることに感謝して喜んで生きた方が得ですね。最近ようやくわかったような気がします。
Posted by 徳光 at 2013年05月25日 22:14
主人が罪を犯して警察に捕まってしまいました。新聞にも出てしまい、二人の子どもたちと共に途方に暮れています。でもこの問題を通して神様の愛のみ業が行われていることを信じて感謝するように努力しています。お祈りください。
Posted by 匿名 at 2013年06月12日 22:48
私はこれまで問題が起きるたびに、あー、いやだ、いやだと思って落ち込んでいました。これからは問題が起きるたびに、あー、ありがたい、感謝しますと言うようにしたいと思います。
Posted by 横田肇 at 2013年12月11日 10:59
いやな問題抱えて悩んでいたら偶然この記事に出会いました。そう言われればそうダなぁ。納得して心が落ちつきました。問題があることに感謝してみます。
Posted by 道すがら at 2014年05月07日 02:15
これも感謝シリーズの一つですね。いつも感謝して生きる習慣を身につけたらいいですね。
Posted by 橋本 at 2014年08月20日 02:02
 
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