2012年01月09日
「希望を具現化する力」
信仰とはなにか?
新約聖書ヘブル11:1の信仰の定義によると、
「信仰とは、希望を具現化する力である、それは見えない事実を見える証拠で立証する力である」 (私訳)
希望とはなにか?
希望とは読んで字のごとく、 「稀な望み」 である。 稀にしか実現しない望みである。
簡単にかなえられる望みは希望ではない。 それは単なる願望にすぎない。
希望とは簡単にはかなえられない、非常に実現困難な望みである。
だから、希望の99%以上は失望に終わる。 希望の実現可能性は1%未満にすぎない。
いや、時には人間的に見ればゼロパーセントかも知れない。
それでは、この1%未満の実現可能性しかない希望を具現化するにはどうしたらよいのか?
全力を尽くして、がむしゃらに頑張ることだろうか?
目標を設定して、その実現に向かって一生懸命に努力すること。
これが一般的な目標実現法である。
でも、そのような人間の努力や頑張りで実現する目標は、希望ではなく、願望にすぎないのではないか。
「本当の希望」 は人間の力ではとうてい実現できない 「極めて稀な望み」 ではないか。
それは万物を創造した全能の神によってしか実現できない高いレベルの望みではないか。
聖書によれば、 「希望を具現化する力」 は信仰である。
1%未満の実現可能性を具現化する力は、全知全能の神を信じる信仰である。
言い換えれば、信仰を持っているということは、
「希望を具現化する力」 を持っているということである。
そこまで神を信じ切っているということである。
聖書によれば、そもそも、人の思いに希望を与えてくださるのは、神ご自身である。
その人を通して希望を実現してくださるのも、神ご自身である。
希望とその実現とは、初めから終わりまで、神のみ心と神のみ業なのである。
ゆえに、人に必要なのは、信仰だけである。 そして、信仰に伴う行動だけである。
アブラハム100歳、サラ90歳にしてイサクが生まれたのは、
神のことばを子どものように信じつづけた、アブラハムの純真な信仰による。
「どうしてもアメリカの奴隷制度を廃止したい!」 という希望を実現したのは、
そのために大統領にまでなった、リンカーンの熱い信仰による。
なによりも、「人に永遠の命を得させ神との親子関係を復活させたい」 という
神の最大の希望をご自分の希望として、これを実現するために自ら十字架にまでかかられたのは、
イエスの深い信仰による。
本物の信仰には、
水をワインに変え、いちじくの木を枯らせ、嵐を押しとどめ、水の上を歩き、悪霊を追い出し、
病人をいやし、死人を生き返らせ、二匹の魚と五つのパンを増やして何千人に分け与え、
山をも動かすような力がある。
希望は肉の目には見えないが、信仰はそれが実現している様をありありと霊の目で見て、
あたかも見えない事実を証拠で立証するような力である。
だから、希望を実現してくださる 「希望の神」 を心の底から信じる信仰を持つ人には、
希望は決して失望に終わることはない。
私は毎年元旦に、新年の希望や抱負を掲げてきた。
しかし、単なる願望は実現しても、 「稀な望み」 言いかえれば、
「とてつもない神の望み」 は実現してこなかった。
本当の希望は本物の信仰によってしか具現化できないからである。
今年こそは、長年抱いてきた、 「神のとてつもなくすばらしい望み」 を、
本物の信仰によって具現化したいと決心した。
Posted by アブラハムささき at 22:22│Comments(20)
この記事へのコメント
ささき先生
信仰の真髄を教えていただきました。
ありがとうございます。
信仰の真髄を教えていただきました。
ありがとうございます。
Posted by 出前牧師カンちゃんこと菅野直基 at 2012年01月09日 23:12
希望と信仰の違いと関係がよくわかりました。今年こそは信仰によって希望を実現したいと思いました。
Posted by 佐伯 at 2012年01月10日 01:31
先生、簡単明瞭な教え 感謝します。
信仰をもつ事は素晴しい事であり、その信仰によって神様と繋がっている事を感謝します。
1%の希望があると言う事は、信仰をもってすれば、神様の時が来たら成就出来るんですね。
人間思案であれこれ考えずに、全てを神様に委ねて行きたいと思います。
今は1%の希望が持つ事が出来ている事を大切にしたいし、感謝の気持ちでいっぱいです。
パウロも沢山の弟子を作りましたが、信仰をもたない人は弟子にしませんでした。
僕はいつか本物の弟子になれるように、信仰を深めたいと思います。
感謝!感謝!感謝!の毎日です ハレルヤ。 オバマ
信仰をもつ事は素晴しい事であり、その信仰によって神様と繋がっている事を感謝します。
1%の希望があると言う事は、信仰をもってすれば、神様の時が来たら成就出来るんですね。
人間思案であれこれ考えずに、全てを神様に委ねて行きたいと思います。
今は1%の希望が持つ事が出来ている事を大切にしたいし、感謝の気持ちでいっぱいです。
パウロも沢山の弟子を作りましたが、信仰をもたない人は弟子にしませんでした。
僕はいつか本物の弟子になれるように、信仰を深めたいと思います。
感謝!感謝!感謝!の毎日です ハレルヤ。 オバマ
Posted by Obama at 2012年01月10日 02:48
佐々木先生及び、このブロムを見ていらっしゃる皆様
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も新年早々、深淵な真理を教え頂き、真に有難うございます。
「信仰とは望んでいることを確信し、」を佐々木訳で「希望を具現する力である。」「まだ見ていない事実を確認すること」を「見えない事実を見える証拠で立証する力である」と訳されている。いかにも法律家らしい佐々木先生に言い回しだと感心する次第です。希望を稀にしか実現しない望みであると言う解釈も面白いと思いました。希望は肉の目には見えないが、実現していく様子を霊の目で見届ける。そして、本当の希望は本物の信仰によってしか具現化できないと結論付けられる。その通りだと思います。
昨年は地震・津波・原発による被災の歳でしたが、今年は「荒れ野に水が湧き出で、荒地が川となって流れる」(イザヤ35・6)とあるように「復興」「回復」の歳としたいと希望します。主が与えてくださる「とてつもなく素晴しい望み」を抱いて参りましょう。
主にあって感謝
小林 政和
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も新年早々、深淵な真理を教え頂き、真に有難うございます。
「信仰とは望んでいることを確信し、」を佐々木訳で「希望を具現する力である。」「まだ見ていない事実を確認すること」を「見えない事実を見える証拠で立証する力である」と訳されている。いかにも法律家らしい佐々木先生に言い回しだと感心する次第です。希望を稀にしか実現しない望みであると言う解釈も面白いと思いました。希望は肉の目には見えないが、実現していく様子を霊の目で見届ける。そして、本当の希望は本物の信仰によってしか具現化できないと結論付けられる。その通りだと思います。
昨年は地震・津波・原発による被災の歳でしたが、今年は「荒れ野に水が湧き出で、荒地が川となって流れる」(イザヤ35・6)とあるように「復興」「回復」の歳としたいと希望します。主が与えてくださる「とてつもなく素晴しい望み」を抱いて参りましょう。
主にあって感謝
小林 政和
Posted by 小林 政和 at 2012年01月10日 11:02
信仰と希望と愛。第一コリント13/13、先生に昔いただいた、小さな机上の御言葉いりの額縁を思いだします。この箇所の希望について、言葉と行いで解き明かして頂きありがとうございました。改めて励まされました。主にあって感謝
Posted by ななし at 2012年01月10日 15:03
佐々木先生
素晴らしいメッセージありがとうございました。
本当の希望は本物の信仰によってしか具現化出来ないのだと言う、
何と素晴らしいメッセージでしょうか。まさに目からウロコ状態です。
私は、主によって清められ主の協力者として用いて頂くという・・・
「とてつもない希望」を叶えて頂けますよう祈り続けたいと思います。
主と佐々木先生に大きな感謝。
素晴らしいメッセージありがとうございました。
本当の希望は本物の信仰によってしか具現化出来ないのだと言う、
何と素晴らしいメッセージでしょうか。まさに目からウロコ状態です。
私は、主によって清められ主の協力者として用いて頂くという・・・
「とてつもない希望」を叶えて頂けますよう祈り続けたいと思います。
主と佐々木先生に大きな感謝。
Posted by tov1934 at 2012年01月10日 17:32
信仰は、神の御心が成就することであり、神の御言葉が実現することです。
信仰は、神が望んでいる事柄が地上に実現することの保証(ギャンランティー)です。
だから、まだ実現していない目に見えない結果を前もって確信させるものなのです。
人の希望だけを実現するのは自己実現の信仰であって、神の御心にかなった信仰ではありません。
主イエス・キリストにつく信仰者は、まず神の御心を求めなければなりません。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
神の御心は必ず、御言葉を通してその人に示されます。そして、示された御言葉が実現すると信じたなら、必ず実現します。人が本当に信じた御言葉は、聖霊が働いて神が考えたとおりに実現し、神が計ったとおりに成就します。これは、御霊の法則、霊的な仕組みが働いているからです。これこそが、「神の時」が「人の時」に参入する所以でもあります。
我が主もまたお語りになっているではないか。
「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」(ヨハネ6:38)
主イエス・キリストにつく信仰者もみな同じです。
信仰は、神が望んでいる事柄が地上に実現することの保証(ギャンランティー)です。
だから、まだ実現していない目に見えない結果を前もって確信させるものなのです。
人の希望だけを実現するのは自己実現の信仰であって、神の御心にかなった信仰ではありません。
主イエス・キリストにつく信仰者は、まず神の御心を求めなければなりません。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
神の御心は必ず、御言葉を通してその人に示されます。そして、示された御言葉が実現すると信じたなら、必ず実現します。人が本当に信じた御言葉は、聖霊が働いて神が考えたとおりに実現し、神が計ったとおりに成就します。これは、御霊の法則、霊的な仕組みが働いているからです。これこそが、「神の時」が「人の時」に参入する所以でもあります。
我が主もまたお語りになっているではないか。
「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」(ヨハネ6:38)
主イエス・キリストにつく信仰者もみな同じです。
Posted by eulogesai at 2012年01月11日 18:04
10年前に東京拘置所で面会した五十嵐弘志さんが岐阜刑務所から出所して、東京で感動の再会をしました。
私は彼の身元引受人でありながら、忙しさにかまけて一度も岐阜に面会に行かなかったことを謝りました。
渋谷区役所で一緒に生活保護の手続きをして、五十嵐さんは希望に燃えています。
拘置所の中で聖書を読んでイエスさまを信じた五十嵐さんは多くの苦しみと迫害にめげず、大勢の受刑者や職員に福音を伝えてきました。
信仰によって希望の神に希望をつないで、10年の刑期を立派に満了して出所した五十嵐さんから大きな励ましをいただきました。
彼の今後の希望は福音の伝道者として、受刑者を含めた社会の底辺で苦しみもがいている人たちにキリストの十字架の愛をもって奉仕していきたいということでした。
私は彼の身元引受人でありながら、忙しさにかまけて一度も岐阜に面会に行かなかったことを謝りました。
渋谷区役所で一緒に生活保護の手続きをして、五十嵐さんは希望に燃えています。
拘置所の中で聖書を読んでイエスさまを信じた五十嵐さんは多くの苦しみと迫害にめげず、大勢の受刑者や職員に福音を伝えてきました。
信仰によって希望の神に希望をつないで、10年の刑期を立派に満了して出所した五十嵐さんから大きな励ましをいただきました。
彼の今後の希望は福音の伝道者として、受刑者を含めた社会の底辺で苦しみもがいている人たちにキリストの十字架の愛をもって奉仕していきたいということでした。
Posted by ささき at 2012年01月12日 00:42
ペテロはイエスさまのことばを信じて行動した時は、水の上を歩くことができました。しかし、嵐を見て心が動揺してイエスさまのことばを疑った時に水の中に沈んでしまいました。大切なことは、神のことばを疑わないで信じ続けることなんですね。信仰はまさに希望を具現化する力です。
Posted by キム at 2012年01月12日 01:13
神の人すべからく神の大望を抱くべし。神、人に神の業をなさしめるべく大望を抱かせ、神ご自身これを実現せしめんとす。ゆえに、人、ただ神を信じ、大望の実現を信ずべし。神の大望決して人の業によらざるべし。
Posted by 遠吠え at 2012年01月12日 02:19
神の御心は、主イエス・キリストを信じるすべての人に注がれています。
御心は、神のご計画を地上に実現するための神の「意思」ですので、希望が必要な人には希望を与え、愛が必要な人には愛を与え、信仰を求める人には信仰を与えます。だから、神は「先ず第一に求めなさい。」(マタイ6:33)と人に仰せられます。
重要なことは、神の御心を言葉で理解することです。なぜなら、神の言葉には、神のご計画や、神の意思、神の思いが潜んでいるからです。神の言葉を素直に受け入れ、心から理解するならば、神は、その人の魂に働いて、主イエス・キリストを信じる信仰の道に歩ませます。クリスチャンは自ら進んで神を信じているのではなく、聖霊の働きによって神を信じさせられているのです。クリスチャンは、神のご計画の実現、救いの証人として地上に存在しているからです。神の御心は、クリスチャンの必要や求めに応じて、希望となったり、愛となったり、信仰となって信じるものの魂に現れてきます。
クリスチャンにとって神の御心に気づき、これを悟ることが最も基本的で、一番重要なことです。クリスチャンは、いつも聖書を開き、主の御前に静まって神の御心を求め、御言葉に聞いてこれを悟り、これに応えていく信仰が必要です。御言葉に導かれていない信仰生活ほど空しいものはありません。サンタンの介入を許してはなりません。御心に支配されて信仰の大盾を取り、救いのかぶとをかぶり、御言葉の杖をしっかりと握り、絶えず御霊によって祈りながら、雄雄しく信仰生活を歩いていこうではないか。
主は私たちに語られます。
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国はいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行うものがはいるのです。」(マタイ7:21)
御心は、神のご計画を地上に実現するための神の「意思」ですので、希望が必要な人には希望を与え、愛が必要な人には愛を与え、信仰を求める人には信仰を与えます。だから、神は「先ず第一に求めなさい。」(マタイ6:33)と人に仰せられます。
重要なことは、神の御心を言葉で理解することです。なぜなら、神の言葉には、神のご計画や、神の意思、神の思いが潜んでいるからです。神の言葉を素直に受け入れ、心から理解するならば、神は、その人の魂に働いて、主イエス・キリストを信じる信仰の道に歩ませます。クリスチャンは自ら進んで神を信じているのではなく、聖霊の働きによって神を信じさせられているのです。クリスチャンは、神のご計画の実現、救いの証人として地上に存在しているからです。神の御心は、クリスチャンの必要や求めに応じて、希望となったり、愛となったり、信仰となって信じるものの魂に現れてきます。
クリスチャンにとって神の御心に気づき、これを悟ることが最も基本的で、一番重要なことです。クリスチャンは、いつも聖書を開き、主の御前に静まって神の御心を求め、御言葉に聞いてこれを悟り、これに応えていく信仰が必要です。御言葉に導かれていない信仰生活ほど空しいものはありません。サンタンの介入を許してはなりません。御心に支配されて信仰の大盾を取り、救いのかぶとをかぶり、御言葉の杖をしっかりと握り、絶えず御霊によって祈りながら、雄雄しく信仰生活を歩いていこうではないか。
主は私たちに語られます。
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国はいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行うものがはいるのです。」(マタイ7:21)
Posted by eulogesai at 2012年01月12日 17:28
すばらしいメッセージありがとうございました!私は神さまに語られた大きなビジョンがありますが、その実現は不可能に近いのであきらめていました。しかし、からし種一粒の信仰があれば希望を実現することができることがわかりました。何年かかるかわかりませんが、今日からチャレンジしていきます。ブログで励まされて感謝です。
Posted by ヨシオカ at 2012年01月15日 00:51
わたしも昨年の抱負は何一つ実現しませんでした。希望は失望に終わりました。今年こそはと、同じ希望を掲げましたが、実現させる自信がありませんでした。自分の信仰の持ち方に問題があることがわかりました。気付かせてくれてありがとうございました。
Posted by TW at 2012年01月16日 22:16
日本の刑事裁判で無罪を勝ち取る確率は0.4%と言われています。
準強姦罪で告訴された茨城のB牧師は、当初から無実を主張していましたが、信仰により、昨年、完全無罪判決を勝ち取りました。起訴された時点では、私ども法律専門家の目から見て、本件はすべての面でB牧師に非常に不利な状況で下から、無罪になる確率は0.01%以下ではなかったかと思います。
B牧師逮捕と同時に、70人以上の警察官が教会と関係者宅からありとあらゆる証拠物件を持ち去りました。6ヶ月間の拘置を保釈で出た後で、B牧師がもぬけの空になった教会を調べたら、決定的なアリバイの証拠が見つかりました。どういうわけか、そのたった一つの証拠だけが警察の押収をまぬかれて教会に残っていたのです。
岡山のM牧師は、昨年12月に山道を夜自動車で運転していた時に何か軽く当たったような気がして自宅に着いてから見ると車の一部が破損していました。以前動物をはねたことがるので、小さな動物にでも当たったのかと思い、警察に電話をして調べてもらいました。
警察の調査で人が死んでいたことが判明し、ひき逃げ事件の犯人としてM牧師は逮捕され起訴されました。今のところ、M牧師に有利な証拠はなにもないようです。M牧師が信仰によって無罪判決を勝ち取ることができるようにお祈りください。
準強姦罪で告訴された茨城のB牧師は、当初から無実を主張していましたが、信仰により、昨年、完全無罪判決を勝ち取りました。起訴された時点では、私ども法律専門家の目から見て、本件はすべての面でB牧師に非常に不利な状況で下から、無罪になる確率は0.01%以下ではなかったかと思います。
B牧師逮捕と同時に、70人以上の警察官が教会と関係者宅からありとあらゆる証拠物件を持ち去りました。6ヶ月間の拘置を保釈で出た後で、B牧師がもぬけの空になった教会を調べたら、決定的なアリバイの証拠が見つかりました。どういうわけか、そのたった一つの証拠だけが警察の押収をまぬかれて教会に残っていたのです。
岡山のM牧師は、昨年12月に山道を夜自動車で運転していた時に何か軽く当たったような気がして自宅に着いてから見ると車の一部が破損していました。以前動物をはねたことがるので、小さな動物にでも当たったのかと思い、警察に電話をして調べてもらいました。
警察の調査で人が死んでいたことが判明し、ひき逃げ事件の犯人としてM牧師は逮捕され起訴されました。今のところ、M牧師に有利な証拠はなにもないようです。M牧師が信仰によって無罪判決を勝ち取ることができるようにお祈りください。
Posted by ささき at 2012年01月16日 22:49
五十嵐弘志さんからの書き込みメッセージです。
五十嵐弘志です。
以前このブログで、佐々木弁護士へ出した私の手紙を紹介していただきました。
10年近い刑期を満了して昨年末に岐阜刑務所を出所しました。今は東京で生活保護を受けながら、職を探して新しい道を歩もうとしているところです。
私は無実でしたが、無罪判決を勝ち取るのはとても無理だと思い、上訴をあきらめてしまいました。でも、獄中で聖書を読んでイエス・キリストを信じました。たくさんの苦しみと悲しみを体験しましたが、いつもイエスさまが慰め励まし、喜ばせてくださいました。私は夢中になって受刑者や刑務所職員のみなさんに福音を伝えてきました。
イエスさまに出会ったことは、私の人生で最大の奇跡です。私は最高に幸運な幸せ者です。無実とは言え、刑務所に入れられたことを心から感謝しています。
これから、希望を持って多くの人たちに福音を伝えていきたいと思っています。たびたびブログに書き込みをさせていただきますが、よろしくお願いいたします。
五十嵐弘志です。
以前このブログで、佐々木弁護士へ出した私の手紙を紹介していただきました。
10年近い刑期を満了して昨年末に岐阜刑務所を出所しました。今は東京で生活保護を受けながら、職を探して新しい道を歩もうとしているところです。
私は無実でしたが、無罪判決を勝ち取るのはとても無理だと思い、上訴をあきらめてしまいました。でも、獄中で聖書を読んでイエス・キリストを信じました。たくさんの苦しみと悲しみを体験しましたが、いつもイエスさまが慰め励まし、喜ばせてくださいました。私は夢中になって受刑者や刑務所職員のみなさんに福音を伝えてきました。
イエスさまに出会ったことは、私の人生で最大の奇跡です。私は最高に幸運な幸せ者です。無実とは言え、刑務所に入れられたことを心から感謝しています。
これから、希望を持って多くの人たちに福音を伝えていきたいと思っています。たびたびブログに書き込みをさせていただきますが、よろしくお願いいたします。
Posted by アブラハムささき at 2012年01月17日 22:06
主イエス・キリストにつく信仰の必要十分条件は、「御言葉」、「信じる」、「主イエス・キリスト」です。これらが三位一体のように働くなら正しい信仰となって成長していきます。この三つのうちひとつだけが突出して過度に働くとバランスを欠いた信仰となり、お互いに支えを失った信仰となるため盲信的、狂信的な信仰に成長していきます。
御言葉は信仰の「種」です。からし種の信仰とは、御言葉を信仰の「種」として、ここから主イエス・キリストを信じる信仰が成長していきます。聖書では、神は農夫であって、「種」は神の言葉、聖霊は風であり、畑は信仰者の魂と言っています(マルコ4:3~33)。信仰者の魂に御言葉の「種」が植えられると、御言葉を喜びとして、昼も夜も御言葉を口ずさみ、御言葉を覚えて魂に根を張ります。こういう人は、御言葉とつながっているので、聖霊の風に導かれ、主イエス・キリスト目指して信仰が成長し、時が来ると信仰の実を結び、何をしても栄え、ついには30倍、60倍、100倍の実を結びます。御言葉に基づかない、ただ信じていくだけの信仰は御言葉の「種」がないために絶えず動揺し、不安と恐れが渦巻き、虚栄心、功名心、自尊心に振り回され、信じている信仰に自信を失い、ついには成長した信仰までも失うことになります。
御言葉は信仰の「種」であって、信仰の「種」を蒔く人は、御言葉を蒔く人です。(マルコ4:14)
あるところに、1人のクリスチャンがおりました。彼は、仕事において大きな問題を抱えていました。それで、たびたび主に祈って解決を求めていたのですが、何の応えもありませんでした。ある朝、通勤電車の中で聖書を読んでいると、ひとつの御言葉が目に留まりました。
「まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」(イザヤ55:12)
彼は思いました。「毎日、会社に行くとき、安らかに導かれて行けるなんて、何と幸せなことだろう。喜びの歌声を上げながら仕事が出来るなんて、一体どういう人なのだろう。」
彼が御言葉に感動していると、安らかに導かれて通勤している自分の姿や、喜びながら仕事をしている自分の姿、職場の人たちや、友人、家族たちが楽しそうに手を打ち鳴らして自分を応援している姿が思い描かれました。そのとき、彼は「この御言葉は、主が私にお語りになった言葉だ。」と、とっさに気づき、「これは主の御心に違いない。」と悟りました。それで、この御言葉をメモに書き留め、手帳にしまってから「主よ、御言葉をありがとうございます。この御言葉を心から受け取りました。今、あなたが語ってくださった御言葉が私を通して実現しました。この事実を確信します。どうか、主よ、この御言葉が実現するまで、この小さきものを導いてください。」と祈りました。
そして、彼は仕事の合間に御言葉を思い起こしたり、道を歩く間、安らかに導かれていく自分の姿や、喜びながら仕事をしている自分の姿をイメージしながら祈り、また、覚えた御言葉を口ずさみながら「主よ、今、御言葉が実現しています。」と祈ったりしながら過ごしていきました。
数週間が立ち、御言葉が自分の言葉として語れるようになった頃、彼は、穏やかに通勤している自分自身を発見し、喜んで仕事に取り組んでいる自分の姿に気づきました。そして、あれほど問題だと思っていた仕事も、今では何もなかったかのように消え失せてしまいました。そして、一番驚いたのは、職場の人たちが彼を温かい眼で見るようになり、声をかけたり、手助けしてくれるようになったことでした。まさに、彼にとっては、喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行くようなり、周囲の山と丘は、喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らすようになったのでした。
彼は「本当に主がお語りなった御言葉が実現したのだ。」と驚きました。そして、これまでのすべての過程で聖霊が働いて彼を導いてくださったことを理解し、神の偉大さを崇め、主の御業を恐れました。彼は、身を慎んで主に祈りました。「主よ、あなたはすべてをご存知のうえで、この小さきものを導いてくださいました。これは、あなたがなされた御業ですから、ただただあなたに栄光をお返しいたします。あなたの御手の働きを感謝します。」
今、世の中は激しく動いています。この社会の底辺に流れているうねりを読み解くと、歴史の節目といったものを感じます。この流れは巡りに巡っていずれ我々の信仰生活にもやってくるでしょう。これからの時代、今までの信仰生活で立ち向かっていくことは極めて困難になるかもしれません。祈っているのになかなか応えられないとか、御心を求めているのになかなか示されないとか、一生懸命信じているのに実現しないとか、今まで経験しなかったような試練に出会うことでしょう。すでに旧い時は過ぎ去ってしまい、今や新しい時がやって来たと理解すべきでしょう。
この度は、新しい年の初めに、聖書が言っている信仰について、もう一度考えることが出来ました。このような機会を与えられてありがとうございました。また、このブログを立ち上げて下さった佐々木弁護士の上に、主の限りない恵みがありますようにお祈りいたします。
愛する兄弟姉妹よ、新しい年のスタートにあたり、今も生きている主が、大いなる愛を持って働いてくださいますように。聖書の中で生きている聖霊が、愛する兄弟姉妹の魂に働いて、永遠の力によみがえらせてくださいますようにお祈りいたします。
主はお語りになります。
「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(ヨハネ8:47)
御言葉は信仰の「種」です。からし種の信仰とは、御言葉を信仰の「種」として、ここから主イエス・キリストを信じる信仰が成長していきます。聖書では、神は農夫であって、「種」は神の言葉、聖霊は風であり、畑は信仰者の魂と言っています(マルコ4:3~33)。信仰者の魂に御言葉の「種」が植えられると、御言葉を喜びとして、昼も夜も御言葉を口ずさみ、御言葉を覚えて魂に根を張ります。こういう人は、御言葉とつながっているので、聖霊の風に導かれ、主イエス・キリスト目指して信仰が成長し、時が来ると信仰の実を結び、何をしても栄え、ついには30倍、60倍、100倍の実を結びます。御言葉に基づかない、ただ信じていくだけの信仰は御言葉の「種」がないために絶えず動揺し、不安と恐れが渦巻き、虚栄心、功名心、自尊心に振り回され、信じている信仰に自信を失い、ついには成長した信仰までも失うことになります。
御言葉は信仰の「種」であって、信仰の「種」を蒔く人は、御言葉を蒔く人です。(マルコ4:14)
あるところに、1人のクリスチャンがおりました。彼は、仕事において大きな問題を抱えていました。それで、たびたび主に祈って解決を求めていたのですが、何の応えもありませんでした。ある朝、通勤電車の中で聖書を読んでいると、ひとつの御言葉が目に留まりました。
「まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」(イザヤ55:12)
彼は思いました。「毎日、会社に行くとき、安らかに導かれて行けるなんて、何と幸せなことだろう。喜びの歌声を上げながら仕事が出来るなんて、一体どういう人なのだろう。」
彼が御言葉に感動していると、安らかに導かれて通勤している自分の姿や、喜びながら仕事をしている自分の姿、職場の人たちや、友人、家族たちが楽しそうに手を打ち鳴らして自分を応援している姿が思い描かれました。そのとき、彼は「この御言葉は、主が私にお語りになった言葉だ。」と、とっさに気づき、「これは主の御心に違いない。」と悟りました。それで、この御言葉をメモに書き留め、手帳にしまってから「主よ、御言葉をありがとうございます。この御言葉を心から受け取りました。今、あなたが語ってくださった御言葉が私を通して実現しました。この事実を確信します。どうか、主よ、この御言葉が実現するまで、この小さきものを導いてください。」と祈りました。
そして、彼は仕事の合間に御言葉を思い起こしたり、道を歩く間、安らかに導かれていく自分の姿や、喜びながら仕事をしている自分の姿をイメージしながら祈り、また、覚えた御言葉を口ずさみながら「主よ、今、御言葉が実現しています。」と祈ったりしながら過ごしていきました。
数週間が立ち、御言葉が自分の言葉として語れるようになった頃、彼は、穏やかに通勤している自分自身を発見し、喜んで仕事に取り組んでいる自分の姿に気づきました。そして、あれほど問題だと思っていた仕事も、今では何もなかったかのように消え失せてしまいました。そして、一番驚いたのは、職場の人たちが彼を温かい眼で見るようになり、声をかけたり、手助けしてくれるようになったことでした。まさに、彼にとっては、喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行くようなり、周囲の山と丘は、喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らすようになったのでした。
彼は「本当に主がお語りなった御言葉が実現したのだ。」と驚きました。そして、これまでのすべての過程で聖霊が働いて彼を導いてくださったことを理解し、神の偉大さを崇め、主の御業を恐れました。彼は、身を慎んで主に祈りました。「主よ、あなたはすべてをご存知のうえで、この小さきものを導いてくださいました。これは、あなたがなされた御業ですから、ただただあなたに栄光をお返しいたします。あなたの御手の働きを感謝します。」
今、世の中は激しく動いています。この社会の底辺に流れているうねりを読み解くと、歴史の節目といったものを感じます。この流れは巡りに巡っていずれ我々の信仰生活にもやってくるでしょう。これからの時代、今までの信仰生活で立ち向かっていくことは極めて困難になるかもしれません。祈っているのになかなか応えられないとか、御心を求めているのになかなか示されないとか、一生懸命信じているのに実現しないとか、今まで経験しなかったような試練に出会うことでしょう。すでに旧い時は過ぎ去ってしまい、今や新しい時がやって来たと理解すべきでしょう。
この度は、新しい年の初めに、聖書が言っている信仰について、もう一度考えることが出来ました。このような機会を与えられてありがとうございました。また、このブログを立ち上げて下さった佐々木弁護士の上に、主の限りない恵みがありますようにお祈りいたします。
愛する兄弟姉妹よ、新しい年のスタートにあたり、今も生きている主が、大いなる愛を持って働いてくださいますように。聖書の中で生きている聖霊が、愛する兄弟姉妹の魂に働いて、永遠の力によみがえらせてくださいますようにお祈りいたします。
主はお語りになります。
「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(ヨハネ8:47)
Posted by eulogesai at 2012年01月19日 17:51
佐々木先生
いつもお祈りありがとうございます。
主がバイブルランドを日本に建設され、全世界の全ての民族に聖書が母国語で届けられ、みことばが成就する日を楽しみにして、希望を持って、日々、歩んでいます。
本気で日本人が全世界の全ての民族に用いられますようにお祈りしています。
〆木泰輔
在主
いつもお祈りありがとうございます。
主がバイブルランドを日本に建設され、全世界の全ての民族に聖書が母国語で届けられ、みことばが成就する日を楽しみにして、希望を持って、日々、歩んでいます。
本気で日本人が全世界の全ての民族に用いられますようにお祈りしています。
〆木泰輔
在主
Posted by 〆木泰輔 at 2012年01月19日 23:12
失望したければ世の中を見よ。
絶望したければ自分を見よ。
希望を持ちたければキリストを見よ。
デンマークの哲学者キルケゴールはこう言ったそうですが、本当にその通りですね。
希望の扉を開く人は、神の約束は必ず実現すると信じ切った人です。
絶望したければ自分を見よ。
希望を持ちたければキリストを見よ。
デンマークの哲学者キルケゴールはこう言ったそうですが、本当にその通りですね。
希望の扉を開く人は、神の約束は必ず実現すると信じ切った人です。
Posted by 田岡 at 2012年01月22日 02:50
今、教会を挙げて大きなビジョンに取り組んでいます。しかし、幾多の困難な問題が山のように立ちはだかっています。「希望を具現化する力」、大変参考になり、励まされました。
Posted by NN at 2012年01月23日 00:38
これもすごい明石ですね!オバマさん、今も元気にしていらっしゃいますか?
Posted by yk at 2018年09月24日 09:48