2011年11月21日

 < わ  が  命  の  凱  旋 >


< M.M.さんの、卵巣がんの癒しの記録です >           

2006年9月、体に異常を覚えた私は、近所の婦人科病院へ駆けつけました。 

担当女医は、私の事情を良く聞いた上、

さっそく、細胞検査、超音波検査をして診察して下さいました。

「大きな腫瘍があります。 

卵巣がんの疑いがあります。 

大きな病院でもっと詳しい診察を受けて下さい」


「卵巣がん?!」 

ふだん健康に自信のあった私にとって、まさに晴天の霹靂 (へきれき) でした。 

「がん!」  

その一言が、鉛のように重く響きました。 

「がん?」

心の中で何度も繰り返しながらも、それが信じられませんでした。 

家路にたどりつくまで、頭の中は真っ白で何も覚えていません。


家に着くと、すぐに書棚から 「家庭医学書」 を取り出し、婦人病のページを開きました。 

「卵巣がん ― 死亡率27%」

この文字が、目に飛び込んできました。 

“もしかしたら、私の 「命」 は短いのかも知れない” 

恐れと不安が、どっと押し寄せてきました。 


私が先ず始めたこと、それは身の回りの整理でした。 

書物や衣類をどんどん整理し始めました。 

まとめたもので部屋がいっぱいになる頃は、もう深夜になっていました。 


ふと我にかえりました。 

「いったい自分は、今何をやっているのだろう! 

“命がない”  と言われたわけではない。 

“疑いがある”  こう診断されただけではないか!」

いつも熱心に聖書に親しんできた神様への信仰は、どこへ行ってしまったのか。 

今こそ、全能の神に祈るべき時ではないか。 


不信仰を悔い改めて、私はひざまずいて祈りました。

キングストンの 「神の使命がある限り人は生きる」 という言葉が、心に浮かびました。

「愛する神様、私は “卵巣がん” の疑いがあると診断されました。 

詳しく調べなければ分りませんが、まだこの世で私になすべき使命があるならば、命をお守り下さい。 

でも、あなたが私の命はここまでと言うのでしたら、あなたにお従いし、命をあなたにお委ねいたします。 

イエス様のお名前によって祈ります。  アーメン」

偽りのない心からの祈りでした。 

涙が頬を伝ってきました。 


夜も明けるころ、神様の平安が私の心を満たしました。 

そして、聖書の次のみことばが示されました。

「あなた方は立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかに信頼しているならば力を得る」 

(イザヤ書 30:15)

ついさっきまでの恐れと不安が、まったく消えていました。


10月18日、慶応大学病院婦人科で診察。 

担当主治医は、MRI画像を見つめながら、

「かなり大きな腫瘍があります。  まちがいなく卵巣がんでしょう!」

「摘出手術をする必要があります。  危険を伴う大がかりな手術となるでしょう」

事務的とも感じるテキパキした先生のことばに、

ただ 「はい」 と小さくうなずくしかない、

無力な自分がそこにいました。


「卵巣がんです!」 

はっきりこう告知された今、また言い知れない恐れと不安が襲ってきました。 

「私たちも全力でMさんの手術に臨みます。 

これから色々な検査が続きますが、Mさんもがんばって下さい!」

と言う、主治医のことばに慰められました。


その時、一つの聖書のみことばが、心に響いてきました。

「神はあなたがたを顧みていて下さるのであるから、

自分の思い煩いを、いっさい神に委ねるがよい」 

(Iペテロ5:7) 

これを機に、私は聖書のみことば (神のことば) にいっそう心の耳を傾けることにしました。 

みことばに聞くと、平安な気持ちになれました。 

こうして私は、 「人の言葉や力ではなく、真の神のことばだけを信頼しよう」 と堅く決心しました。

特に、イザヤ書53章5節の次の 「約束」 を握りしめて、治療に専念することにしました。 

「その打たれた傷によって、われわれは癒されたのだ」

「そうだ、イエス様の打たれた傷によって、私はすでに癒されたのだ!」

不思議にも、私の心の奥底から、新しい生きる力と明るい将来への希望が湧いてきました。


12月19日、慶應大学病院に入院。 

手術日は、奇しくも、12月25日クリスマスの日と決定。 

「この日は神様からの特別のプレゼントだ。 なにか深い意味があるに違いない!」

自分に言い聞かせました。 


その間、教会の牧師はじめ教会員の皆さんが、私のために毎日熱心なお祈りを捧げて下さいました。 

敬愛するある宣教師の熱い祈りには、大変慰められました。 

入院中は夜間、病室から度々お電話して、受話器を通してその先生に祈っていただきました。 

先生の真心からの熱心なお祈りは、萎(い)えそうになる私の信仰を奮い立たせ、励まして下さいました。 

信仰の友の絆を、このときほど尊く思ったことはありませんでした。


12月25日、手術日。 

午前5時に目覚めて、ベッドの上で聖書を開き黙想し、大切な一日の始まりを感謝。

「恐れてはならない、私はあなたと共にいる。 

たじろぐな、わたしはあなたの神である。 

わたしはあなたを強くし、あなたを助け、

わが勝利の右の手をもってあなたを支える」  

(イザヤ書 41:10)


手術は、朝8時から始まり、夕方5時過ぎまで、9時間近くに及びました。 

「Mさん、手術が終わりましたよ。  聞こえますか?」

耳元で呼びかける医師の声が、かすかに聞こえました。 

気が付いたときには、私はすでに病室に戻り、べッドに横たわっていました。 


がんのレベルは、  ”ステージ3+“。 

かなり深刻なものだったことを、後で知りました。 

骨盤内のリンパも、143ケ切除。 

長時間に及んだ手術は、神の恵みにより無事終了しました。 

手術後の体の全身は幾つもの点滴チューブ、リンパ液用の管が取り付けられ、

腹部はしっかりと布で巻かれていました。 身動きも簡単にできません。 

手術が終わったとはいえ、全快までの道のりは果てしなく遠く感じました。


でも、神様は、一歩一歩私の体の中を癒していて下さいました。 

手術後22日目の1月16日、主治医から経過説明があるため、家族が再び呼ばれました。

「Mさんの手術は無事終わりました。 今のところ、リンパへの転移もありません。

しかし、Mさんの腫瘍は悪性で大変な大手術でした。 今後も予断は許されません。 

再発を防ぐためにも、専門医としては、抗がん剤治療をお勧めします。 

これは、最終的には患者であるMさん自身が選択することです」

主治医から抗がん剤治療を強く勧められました。


「私は全能の癒し主なる神様を信じています。 

私の体は神様が癒して下さると信じていますので、

いっさいの抗がん剤治療はしたくありません」

きっぱりこう答えた私は、医師に質問しました。

「先生、私の場合、どのくらいの割合で再発の危険性があるのでしょうか?」

「そうですね、一応悪い部分は摘出しましたので、7対3位の割合でしょうか?」

「そうですか、私は3割の危険ではなく、7割の良い可能性の方を選びます!」

最終的には、私の固い決意を、先生方も理解して下さいました。
 

翌年1月17日水曜日、退院日。 

明け方の小雨も晴れ上がり、29日間の入院生活を終えました。 

久しぶりに外気に触れ、空気がこんなに美味しいものなのかと感激しました。 

見る景色は、すべて美しく輝いていました。 

感謝の気持ちが心いっぱいに溢れてきました。 

退院後、1週間目には職場に復帰。 

偉大な神様の恵みに、ただ感謝あるのみでした!


今年は手術後5年目になります。 

腹部にはまだ大きな傷が残っていますが、今では手術したことさえ忘れているほどです。 

大好きな山歩きも毎月楽しんでいます。 

担当の先生方も驚いています。

「Mさんはあれほどの重病にもかかわらず、抗がん剤治療も受けないで元気になっている。

まったくの驚きです。 

医学研究開発のための参考資料として、Mさんの病理データを使わせていただけませんでしょうか?」

こう要請され、私は喜んで承諾しました。


聖書の 「命のみことば」 が、今日も輝きを放って、私に迫ってきます。



「主は言われる。 わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす」 (エレミヤ30:17)

「イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも変わることがない」 (へブル13:8)





Posted by アブラハムささき at 22:32│Comments(5)
この記事へのコメント
ささき先生

こんばんは。
今日は、徹夜祈祷会があり、奉仕をして来ました。
病のいやしや問題解決、日本のリバイバルを具体的に祈ってきました。


日本人の2人に1人が癌になる時代で、
癌哲学外来のひの先生は、「誰でも平等に癌になります!」
という言葉が印象に残ります。


しかし、癌を含める病のいやしと同時に、健康であり続けるのも
神さまのいやしのはずです。
健康が支えられますように祈りたいです。


すばらしいお話をありがとうございました。


菅野直基
Posted by 出前牧師カンちゃんこと菅野直基 at 2011年11月21日 23:33
誰の身体にも、毎日ガン細胞が生まれているそうです。

ガン細胞は放っておくと、どんどん増殖します。

でも、体内の免疫力(免疫ホルモン)が強いと、ガン細胞を死滅させたり、増殖を止めてしまいます。

いつも喜んで笑っていると、免疫ホルモンがどんどん生み出されてきます。

真面目で几帳面な人ほど、ストレスをため込んでしまい、ガンになる確率が高いと言われています。

イエスさまを信じて、すべてをゆだねて、いつも喜んで笑っていましょう!

どんなに滑っても転んでも、100年足らずの、短い人生です。 

イエスさまを信じたら、永遠の命が与えられ、天国が門を開いて待っています。

他の人たちのことで悩むことはあっても、自分のことで深刻に考えることは、もう何もありません。 

絶対的ハッピーエンドが待っています。
Posted by ささき at 2011年11月21日 23:57
M.M.さんの証に大変励まされました。

家族に重病人を抱え、疲れはてていました。

イエスさまをもっと信頼して、完治するまであきらめないで看護を続けます。
Posted by Y.K. at 2011年11月22日 10:47
人の一生は、一日のよう。

朝、人は生まれたかのように起き上がり、青春のように力強く午前中を過ごし、
午後は壮年のように仕事に励み、夜は老人のように過ごします。
時が来ると、疲れたからだを横たえて死人のように眠りにつきます。

人の病は、バランスを失った川の流れのよう、よどんだ沼のようです。
神の御腕に抱かれる人は、病を知らず、危険に会うことがなく、一切が安らかに過ぎていきます。
神は、からだの中心におられ、人の病を癒し、全てを調和させ、死ぬべきからだをよみがえらせます。

神は病のとき、落ち着いて食事をし、運動、仕事、休息のバランスを調和させよと告げます。
過度に走ってはならない。我を忘れるほどからだを酷使してはならない。
仕事が多いと夢を見、夢が多くなると、むなしい言葉も多くなります。
穴を一生懸命掘る者はそれに落ち込み、石を切り出す者はその石で傷つきます。
からだはあなたの乗り物、馬のようです。馬を大事にする者は、健やかに遠くまで行きます。

御言葉の内に潜む御霊に聴き、御霊の恒常性に身を委ねなさい。
主を喜び、賛美の詩を唱え、絶えず祈りに励みなさい。
そうすれば、あなたの身は安全であり、疲れることなく、たゆむことなく、幸いな日々を過ごします。
Posted by eulogesai at 2011年11月24日 18:24
久しぶりに ブログを読ませて頂きました。

実は僕の友人(歳はずっと下なのですが)に久しぶりに電話をしました。

トヨタのディーラーの所長をやっているのですが、電話の声は元気なく

田舎の言葉で (もう 死ぬばかりいね)・・と言いました。

会いたくて家に行ってきました。昔の元気はなく、帽子をかぶったままでした。

沢山の本を渡して来ました。彼は涙を流して喜んでくれました。

それからもう2カ月近くが過ぎてしまいました。友人が開発中のガングリオシドを

心待ちにしていますが、なかなか出来ません。

そして今日 2カ月ぶりに会ってきました。彼は玄関を出てくるなり、抱きついてくれました。

僕も訳もわからないまま涙を流していました。

彼はきっと癒されると思いました。たとえ癌でも生き続けると確信しました。

佐々木先生の言葉で

他の人たちのことで悩むことはあっても、自分のことで深刻に考えることは、もう何もありません。 

絶対的ハッピーエンドが待っています。

この事を伝えてきました。     

僕も何度も死のうと考えた事がありました。これからも有るかもしれません。

でもMさんの証を読ませて頂いて、生きる事の重大さと大切さを学びました。

感謝します。

                                      オバマ
Posted by OBAMA at 2011年11月25日 22:39
 
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