2011年10月03日

 「もっと鈍感になろう」


  ・・  イエスは言われた、

      「あなたがたは、世にあっては悩みがある。

       しかし、勇気を出しなさい。

       わたしは、すでに世に勝っている」

       (ヨハネの福音書16:30)


  ・・  「これらすべてのことの中にあっても、

       私たちを愛してくださった方によって、

       私たちは、圧倒的な勝利者になるのです」

       (ローマ人への手紙9:37)



「政治の世界では、 『鈍感力』 が大切だ!」

かつて自分の意地を強引に押し通してきた小泉純一郎首相が、

安倍内閣の支持率低下に一喜一憂していた自民党執行部に、

こう言って檄を飛ばしました。

これがマスコミに受けて、 「鈍感力」 ということばが、一挙に広まりました。

もとは渡辺淳一著の 『鈍感力』 から来ているようですが、

私も常々、 「鈍感であることの大切さ」 について考えていました。
 

ある難しい訴訟事件の第一審で大負けして、悩んでいた時のことでした。

あれほど一生懸命に取り組み、あれほど祈ってきたのに、なぜ負けたのか?

このまま敗訴が確定したら大変なことになる。

その苦しみを打ち明けたアフリカ人の友人から、ズバリこう言われました。


「ミスター・ササキ、あなたはナイーブ過ぎる。 

クリスチャンはもっと全能の神を信頼して図太くあるべきだ。

負けたことには何らかの、神の特別な意図があるはずだ。

それを信じて祈っていけばいいんだ!」
 

その一言にハッとしました。

それまで私は、自分のことを 「鈍感」 だとか 「愚鈍」 だと思っていましたが、

「繊細」 だとか 「ナイーブ」 だとは思ってもみませんでした。

一緒に働いた弁護士たちが皆、特別にシャープな 「切れ者」 ばかりだったからか、

彼らの影響を受けて、私も敏感になり過ぎたのかもしれません。
 

そこで、本来の自分に戻ることにしました。

「神を信頼して、あるがままの鈍感な自分になり切る!」 

と決心したのです。


地裁判決を不服として高裁に控訴した後は、裁判の結果については考えないことにしました。

周りの人たちが何と言おうと、どんな判決が出ようと、一切気にせず、

ただひたすら神の計画を信頼して、

それが実現するまで神の平安に支えていただこうと決心したのです。
 
その結果、高裁において劇的な大逆転勝利がもたらされました。

当事者双方も裁判官も全く予想できないようなことが起きて、

関係者全員が非常に喜ぶ結末になったのです。

しかも、地裁で勝っていたらとんでもない悲劇が待っていたことがわかりました。

実に、 「負けて良かった!」、 「負けるが勝ち」 だったのです。


この事件をきっかけに、私は 「目先の勝ち負けに一喜一憂」 するのはやめることにしました。

聖書によれば、神を信じる者はすでに世に勝っています。

しかも圧倒的な勝利者とされています。

すぐ目の前には、 「天国」 という 「絶対的ハッピーエンド」 が待っているのです。

これこそ 「究極のポジティブ・シンキング」 です。

目前の有利不利ではなく、大筋はどうなのか?

大局的に見て大筋が間違っていなければ、それでいいのです。

「方法」 をどうするのかではなく、 「方向」 はどっちを向いているのか?

あなたの思いが、 「世」 に向かっているのか、 「天」 に向かっているのか?

あなたの思いが、阿鼻叫喚と裏腹にある 「この世」 の刹那的な有利不利にとらわれずに、

「神の国」 という 「永遠の至福の世界」 に向かっていればいいのです。

世の中の人には愚鈍に見えるかもしれませんが。。。
 

「新聞や雑誌の定期購読をしない、ラジオも聴かない、テレビも映画も見ない、

講演会にも行かない、法律もあまり研究しない、、、」

という生活を、私は30年以上も続けています。

きっと愚鈍に見えることでしょう。

ところが、日常で困ったことはほとんどないのです。


「これでは、社会人としても弁護士としても、無責任ではないか?」

と時々自分でも思いますが、

そんな私が、新聞や雑誌に連載し、ラジオやテレビにレギュラー出演し、

何本かの映画の製作にかかわり、各地の講演会や講習会に呼ばれ、

裁判や仲裁に勝ち続け、さまざまな国際的法律問題に取り組んできたから不思議です。

その分、聖書を読んで神に祈る時間を、たくさん持つことができました。

また、仕事そのものに集中できました。

その結果、必要な情報は自然に入ってきましたし、

チャンスや人との出会いも、計らずして向こうからやってきたのです。

要するに、雑多な情報に右往左往せずに、小賢しい小手先の技術にたよらない方が、

かえって物事の大局が見えてくるし、問題の本質をつかむことができるということです。


私がこのようなライフ・スタイルを取るようになったのには、

一つの根拠があります。

1970年代にオーストラリアに3年間留学した時のことです。

当時は日本からの情報がほとんどなく、

「帰国したら、浦島太郎のようになっているのではないか?」 

と危惧していました。

ところが3年のブランクにもかかわらず、

帰国後は仕事にも生活にも全く不自由しませんでした。

要するに、世界の大勢や日本の大局や歴史の大きな流れは、

それほど急には変らないのだということがわかったのです。

結局、世界の情勢も世界の歴史もなにもかも、

聖書において預言されている通りになっていくのですから、

すべてを神にまかせ、今日という一日を感謝して、精一杯生きればいいのです。
 

情報が錯綜し、何でもインスタントに早く早くとせかされる現代、

神のペースでゆっくり生きることは非常に難しいことです。

政治の世界だけでなく、日常生活においても 「鈍感力」 が大切ではないでしょうか?

あなたもさまざまな情報に翻弄されてしまい、あまりにもこせこせし過ぎていませんか?

ノイローゼやうつにならない方がおかしいくらいですよね。

こんな時代だからこそ、神を信じる者は、もっと意識的に 「鈍感力」 を働かせ、

神を信頼してすべてをゆだね、神の御手の内に安らごうではありませんか。 
    







Posted by アブラハムささき at 16:54│Comments(4)
この記事へのコメント
色々 皆さまにはご心配 お掛けします。
自信が無くなりました。火の様な激しい祈り・・刀根さんから、返信頂き なるほどと感心にました。火のように祈る事もわかりまいた。
そしていけにえになって僕たちの代わりに僕たちを守られた。
の、聖書に書いて有りますね。
刀根さん わかりやすい説明感謝します。

今頃は仕事の件で連絡を取っていますが、いらいらしています。

人に出来ないことをやります。疲れました。
元気で帰ろうと思いましたが諦めかけて行っています。
赤ちゃんにはついて行く事が無理です。          オバマ
Posted by OBAMA at 2011年10月04日 03:06
佐々木先生
今回の「もっと鈍感になろう」は自分の事をいわれているようで、非常に共感しました。一寸人に言われて、一喜一憂している自分があります。今の時代、万事コンビにの時代で便利が良い、物事が早い。その分せかせかと急がせる風潮ですね。私も神のペースでゆっくり生きたいと願っています。「クリスチャンは、神に信頼して、もっと図太くあるべきだ」その通りだと思います。アーメン。いろんな情報に翻弄されて、こせこせしている自分、敏感になりすぎて、胃炎になり、胃がちくちくと痛みます。佐々木先生が言うように「神に信頼して、あるがままの愚鈍になりきる」。私もナイーブなところがあり、主に信頼していれば、どんと構えていればよいのですね。私も持って生まれた愚鈍に感謝、久しぶりに愚鈍の自分に安らぎを感じることが出来ました。
感謝して  小林政和  
Posted by 小林政和 at 2011年10月05日 07:37
佐々木先生、感謝します。先生のブログを通して、主からの慰めを受けました。主に信頼します。
Posted by Zoe at 2011年10月06日 06:21
鈍感と敏感、ネガティブとポジティブ、図太さと繊細・・

そして大切な責任感と無責任・・

どれをとっても 僕は鈍感でネガティブで無責任と言う言葉がぴったりの人間です。

何故 ここまで無責任な人間になったのかがわかりません。

いつも否定的なことばかり考えています。

明るい性格のはずの人間がここまで落ちるのには布石があったし、前兆もありました。

決してサタンの攻撃ではありません。その事はサタンに置き換えて、自分を慰めているだけの事に気づきました。

感謝の事も忘れ、全てが当たり前のように思い、単に お調子者で、プライドが高い、傲慢を絵に描いたような人間でした。

それを教えてくれたのは佐々木先生でした。

先生の様な人間になりたい。

沢山の人から愛され、沢山の人をあたり前の様に助けてこられた先生の姿にあこがれました。

ところが今ではその憧れていた先生の足を引っ張っています。

一緒に悩んで下さいました。一緒に喜んで下さいました。

しかし、今は迷惑をかけたまま田舎に引っ込んでいます。

僕が先生と知りあったのはJISATSU未遂をしてからです。もう3年が過ぎました。

そのわずか3年の間に僕はJISATSU未遂までは行きませんが、13回(佐々木先生が数えてくれていました)もJISATSUを考えました。

その度に笑顔で励まして下さいました。しかし何故か、僕にはイエスさまと出会う事が出来ません。

3年間の間に先輩クリスチャンについて行こうと、自分なりに頑張ってきたつもりでした。

周りを見れば、牧師先生や、佐々木先生みたいな凄い方たちの集まりでした。

でも結局 僕はその周りの方たちに助けられ、その感謝の気持ちを忘れていました。

何とかこの難局を乗り越えて、その仲間の方たちのところに戻りたいです。

ただ、今は家族が守らている事と、家族との新しい絆が出来た事を感謝しています。

僕は子どもがまだ小学校に入学するかしないか、と言うときに家族を捨てて、
東京で仕事をしていました。
田舎に帰って今日で2週間になりますが、もっと早く家族の愛を知るべきでした。

生きているからこそ苦しみがあるし、借金に比べれば小さな事かもしれませんが、些細な事で家族と笑う事が出来るようになりました。

それは先日次男坊がJISATSU未遂して、交通事故を起こし、それで、絆が結ばれた様な気がします。

その次男坊は母さんが死んだら僕も死ぬ。と言いました。長男も同じことを言いました。

一緒に頑張ろうと誓い合いました。

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Posted by OBAMA at 2011年10月06日 22:10
 
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