2011年09月13日

 「大恋愛の結婚、放蕩による崩壊から愛による復活へ」

  
< 最近アメリカから帰国した知人の、帰国直前の感動的な証しです >

今から約7年前に、私はアメリカに移住するつもりで渡米しました。

移住目的の渡米約半年前に、一人で職探しに来て、

奇跡的に今働いている会社に採用され、

念願のアメリカの地に降り立ったのです。

「自分が永年抱いてきた、アメリカ永住の夢がついに叶うんだ!」 

当然ですが、私は大きな希望と喜びを胸に秘めていました。

けれども、同時に私は深い絶望も抱いていたのです。

というのは、アメリカに来る前に、私と妻との夫婦関係は、完全に行き詰っていたからです。


大恋愛の末、私たちは26歳の若さで結婚しました。

3人のかわいい子供たちに恵まれ、

人も羨むようなアツアツの結婚生活を満喫していました。

しかし、いつの間にか二人の間にすれ違いが増え、

夫婦の心はどんどん離れていきました。

毎晩のように残業と付き合いの酒で深夜帰宅が増え、

私は仕事のプレッシャーのはけ口を求めて、

深酒を繰り返すようになっていきました。

「仕事のストレスで、自分だけが苦しい思いをしている」 

と思い込み、妻の日々の生活のこと、子育てで妻もしんどい思いをしていることなど

まったく気にも留めず、思いやりの気持ちを失っていきました。


“酒に酔ってはいけません。 そこには放蕩があるからです” 

(エペソ5:18) 


と聖書にありますように、

夜な夜な酒を飲んでは酔っ払う生活には、さまざまな誘惑があり、

私はその放蕩にあけくれるようになっていきました。

たまに早く帰宅しても、妻の話しにはほとんど耳を貸さずに、

“そんなどうでもいいことや、くだらない話は勘弁してくれよ” 

こう話しを途中でさえぎって、 

“だったら、こうすればいいんだ!” 

妻が切り出した問題に、勝手な自論を押し付けるようになっていきました。

いつしか、あれだけ日々の出来事について親しく話をしてくれていた妻が、

「日常生活の話をしても何も聞いてくれないし、何を話しても無駄だから。。。」

と、私には口を聞かなくなってしまいました。


夫婦の間に会話がなくなると、そのことが面白くなくなり、

私は威圧的な態度で妻に接するようになりました。

するとますます夫婦間に溝ができるという、悪循環になっていきました。

子供たちも敏感にそのことを感じるのか、家族はバラバラになってしまい、

私にとっては家庭は 「冷え切った居場所の悪い空間」 になっていきました。


激しい口論が毎晩続いた後、ついに別居。。。

私はアパートを借りて、一人住まいを始めたのです。

「数ヶ月くらい離れてみて、冷静になって、お互いの関係を見直そう」

こうして始まった別居は、すでに1年半くらい続いていました。

そんな時、長女は中学を卒業し、高校進学の時期を迎え、

神戸から引っ越して、東京の高校に進学することになりました。

大阪の会社に勤務していた私には、家族が東京に引っ越すことは、

この先ずっと一人のままの生活で、別居状態が続くことを意味しました。


「もう一度やり直そうよ」 

私は何度も妻に懇願しましたが、

「もうやっていけないわ」 

妻はこう繰り返すばかり。。。

私の威圧的な態度や雰囲気に、妻は耐えられなかったのだと思います。

しかし、その当時の私は、結婚前から妻に伝えていた夢、 

「アメリカに移住したい!」 

という気持ちが強くなってきており、

「なんとかアメリカ移住を実現するから、環境を変えてやり直そうよ」

妻にこう懇願するようになっていました。

「神戸はあまりにネガティブな思い出が詰まっているので、

場所を変えてアメリカでなら、皆でやり直してもいいわ」 

妻は一旦は私の提案に賛同してくれました。

そこで、私はアメリカ移住計画を実行に移すことにして、

決死の覚悟で前の会社を辞めて、アメリカに単身で渡って来たのです。

そして転職活動をしにきたロスアンゼルスで出会ったのが

ここ 「ローリングヒルズ・カベナント教会 (RHCC) 日語部」 でした。


アメリカに渡航する直前のある日のことです。

「離婚届けにサインして!」 

突然、妻は私に、既に友人の署名までもらったという、

見たこともない書類を渡してきました。

渋る私に、 「もう終わりだわ」 と。。。

妻がそこまで思いつめていたとは知らず、愕然としました。

振り返れば、ひどい夫であり父親であったので、よほど妻は苦しんだのだと思います。

そんな中、ついにアメリカ行きの日が来て、成田空港には私の家族のほかに、

私の両親と義理の両親、私の妹が、 

「アメリカに移住する」 という堅い決心をもった私を

見送りにかけ付けてくれました。


フライトの時間が近づき、いよいよ家族との別れの時に、

3人の子供たちをそばに呼んで、私はこう伝えました。

「パパはママと離婚をすることになったんだ。 

パパはこれからアメリカに行ってもう帰ってこないから、これで皆とお別れだよ。

元気でいるんだよ。 頑張るんだよ。 パパはいつも皆のことを応援しているからね」 

そう言いながら、子供たちの前で、こらえ切れずに涙がとめどもなく溢れてきました。

中学校一年だった長男が、神妙な顔で黙って最後まで見送ってくれた顔が心に焼きついて離れません。

希望と夢を乗せていくはずの成田発ロス行きの機内で、私は一人悲しみの涙を流していました。


そんな中で、憧れのアメリカに希望と夢と同時に、深い悲しみと絶望感を抱いて到着しました。

とにかくアメリカ大陸における新たな生活がスタートしたのです。


一人ぼっちの私は、転職活動の時に偶然知り合った、日本人のU牧師とKさんがいる

RHCC日語部の礼拝に参加するようになりました。

こうして教会の皆さんとの交わりがスタートしました。

ノンクリスチャンであったけど、毎週日曜礼拝に足を運び、

U牧師のメッセージを聞くと、これが実に面白い!

一番後ろの席で、大きな声で笑いながらメッセージを聞いて、

あまり気の乗らない賛美は歌っているふりをしていました。

「賛美の歌のサビの繰り返しはいいから、早くU牧師のメッセージを始めてくれ!」 

と思ったりしていました。 


教会に通い始めて半年後に、洗礼を受けたのです。

きっかけは、私の家族の状況を話したときに、U先生がこうおっしゃったからです。

「人の気持ちは変えられません。 神様でないと人を変えることはできません。

人を変えるには、まず自分が神様によって変えられないといけないのです」

聖書を学んでいく中で、今までいかに自分が神様にそむいて来たかを思い知らされました。

自分の損得だけで判断する自己中心的な生活、妻を愛さない自分勝手な生活、

酒に酔って放蕩にふける生活。。。こんな自分の人生を、心から悔い改めるようになりました。

でも、悔い改めては、また同じ過ちを繰り返し、また自分の心の貧しさを知らされる毎日。。。


洗礼を受けてから半年後に、

3人のうちの高校生の長女以外の2人が、アメリカに来て暮らすことになりました。

間もなく妻も、 

「やっぱりアメリカで一緒に暮らしてもいいわよ」 

と言い出しました。

「私が信じた神様ってすごいな! 祈りは聞かれたんだ!」

私の心が小躍りしたのもつかの間、

「高校生の長女が東京に残るから、やっぱり無理だわ」 

とのことで、妻は年に数回アメリカに来ては帰ることを繰り返すようになったのです。


営業の仕事で出張の多い私には、一人で子供2人を育てていくことは、非常に困難でした。

教会のご婦人方が交代で、小学生の娘を学校にピックアップしてくれたり、

食事を作って持ってきてくれたり、出張の際は泊めさせていただいたりで、

男手一つの子育て奮闘に、本当に助けになってくれたことを

今でも感謝してもしきれない気持ちで一杯です。

そんなシングルファーザー状態が2年続いた後に、

長男が高校進学はどうしても東京に戻りたいというので、4年前に子供2人は日本に帰国。

私も東京へ帰って家族でまた新たにやり直そうと思い、妻と話しあいましたが、

私の過去の放蕩や思いやりの無さから生じた夫婦関係の溝はまだ深く、

「また一緒に暮らしていく自信はないわ」 

という妻と、更に別居状態が続くことになってしまいました。

私が妻に過去に与えた傷が相当に深いことを、また思い知らされることになったのです。


クリスチャンになってからは、私のこの家族との別居状態を知っている教会の皆さんが、

また私自身も、ずっと祈りを続けてきました。

「いつか家族が一緒になる日がくる、神様のタイミングで必ずその日は実現する!」

ところが信仰の薄い私は、行いが伴っていませんでした。

相変わらず一人でのアメリカ生活をだらだらと続けていく私に、

ある日、U先生はこんな聖書の言葉を指摘してくれたのです。


「もし自分の家族を顧みない人がいるなら、

その人は信仰を捨てているのであって、

不信者よりも悪いのです」

(第一テモテ5:8)

「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、

それはその人の罪です」 

(ヤコブ4:7)

「行いのない信仰は、死んでいるのです」 

(ヤコブ2:26)


夫婦関係の再構築、家族の絆を取り戻すことが必要なことは分かっていても、

祈るだけで行動が伴わなかったら神様は働いてくれない。

神様が奇跡を起こすのには、信仰をもって一歩を踏み出したときだと、

聖書の言葉をもってU先生は示してくださったのです。


旧約聖書ヨシュア記に、イスラエルの民がヨルダン川を渡るときに、

ヨルダン川の水がせき止められた奇跡が起きたとあります。

しかし奇跡が起きたのは、川のそばでじっと水が止まるのを待っていた時ではなく、

“箱をかつぐ祭司たちの足が水際に浸った時” (ヨシュア3:15) です。


また、新約聖書には、12年の長血をわずらった女性が癒された記事があります。


“彼女は、イエスのことを耳にして、群集の中に紛れ込み、

うしろから、イエスの着物にさわった” 

(マルコ5:27)

“すると、たちどころに出血がとまった” 

(ルカ9:44) 


まず自分が行動を起こさないといけない。

勇気を持って困難と思える中に一歩を踏み出す。

神様を信じて自ら群衆をかき分けて手を伸ばす。

川の流れが急で止まらないように見えても、

周りの人が邪魔をして (あるいは競争が激しくて) 

目的のものに手が到底届かないように見えても、

奇跡を信じて行動を起こす。 

そこに神様が働いてくれる。


なにも行動を起こしていない自分を反省して、

今度は、日本帰国計画 (家庭復活計画) を実行に移すことにしました。

アメリカ移住計画の時と明らかに違うのは、

「私には神様がついている」

「行動を起こせば、神様が奇跡を起こしてくれる!」 

という信仰がある点でした。


日本に帰って家族と共にまたやり直すために、

まずは転職先を見つけるべく行動を起こしました。

大卒でさえ大勢が就職浪人する日本の状況、

職を失った人々がハローワークに押し寄せているとのニュース、

49歳という年齢での転職の困難さ、

登録した転職斡旋会社からの度重なる断りの返事。。。


けれども、どんなネガティブな情報に心がふさぎかけても、 

「神様の約束を信じていれば、絶対に素晴らしい仕事が見つかる!」 

と、聖書の約束を信じつづけることにしました。


すると、いくつかの会社からオファーが届き始めました。

そのうちの一社からは数度の電話やスカイプでの面接後、

「最終面接を東京で直ぐに行いたい」 との連絡が届いたのです。

今年の5月連休前に 「採用するかどうかの最終判断をしたい」 とのことで、

一社と最終面接のためだけに、二泊だけの帰国をすることになりました。

しかし、今年の4月末、東京に面接に向かう前の私には心配事がありました。

それは今働いているアメリカの会社の仕事で、私は大きなプロジェクトを準備していました。

そのプロジェクトのスタートが9月。

夏までにこの大プロジェクトの準備を完了すれば、9月からはプロジェクトは自動的に動き出す。

それまでは私の責任を全うしなければ、会社に大きな迷惑をかけてしまう。

だから、できれば転職は9月以降のタイミングでしたい。。。

でも、私を採用しかけている東京の会社としては 「直ぐに来て欲しい」 というコメント。

最終面接の前に、必死で祈りました。

「どうか会社のプロジェクトに支障のないようなタイミングで、転職が決まりますように!」

ところが、面接直前にこの仕事を紹介してくれた転職斡旋会社から連絡が入り、

「今回の転職は6月1日からの入社になるので、それを覚悟して最終面接に挑んで欲しい」

でも、その数時間後、最終面接で会社側から提示された内定書には、 

「入社日、9月1日」 

とあり、もうびっくり!

その他の条件もほぼ希望通りでした。

最終面接中ずっと、 

「神様が奇跡を起こしてくれた。 ありがとうイエス様」 

と繰り返し感謝をささげていたのです。

家族を支えることができる日本での新たな仕事を見つけた私は、

7年間にわたるアメリカの生活にピリオドを打って、

夫として、父親として、そしてクリスチャンとして、なすべきことをすべく、日本に帰国します。


振り返ってみれば、

「最も愛するべき家族よりも、

自分個人の夢を優先して選び続けていたことは、

神様に喜ばれないことである」

と気づかされました。

これからは、神様の喜ばれる優先順位、

つまり、自分の夢よりも妻を愛すること、

自分の仕事よりも子どもたちを愛することを

実行していきたいと思います。

アメリカ永住の夢をあきらめて、家族のもとに帰ることで、


“一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。

しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます” 

(ヨハネ12:24) 


という聖書の言葉を実践していきたいと思います。


復活の前には、死を経験しなければいけない。

自分が死ぬ時に、復活がそのあと起きると信じて、

自我に死に続けるように、神様の助けを得たいと思います。


あの離婚届を用意した妻は、

まだまだ私を気持ちよく受け入れてくれるまでにはなっていません。

でも離婚届のことはもう口にしなくなりました。

冷え切った夫婦関係の復活と再構築、バラバラになった家族の絆をもどすため、

私は信仰を持って、また次の一歩を踏み出したいと思います。


“あなたのうちに与えられた賜物を、再び燃え立たせてください。(fan your flame)”

(第二テモテ1:6)

「消えかけている夫婦のともし火を、少しでも大きな炎にする」

これが私の今の目標であり、神様からの使命だと思っています。


合計約9年間の別居生活の後の道のりは、決して平坦ではありません。

妻の気持ちがそうそう元通りにはなるのは、相当に難しく思えます。

しかし、イスラエルの民の足がヨルダン川の水際に浸かった時のように、

信仰を持って困難な流れの中に一歩を踏み出した時、

また、あの長血をわずらっていた女性が、必死でイエス様を触ろうと手を伸ばした時のように、

不可能に見える状況の中でも、神様の力を信じて行動にうつした時、

「必ずや全知全能の神様が、奇跡を起こしてくれる!」

「必ずや夫婦関係の中にも、神様の癒しと救いがある!」

そう信じて、私は新たな日本での生活をスタートします。

私ひとりではできないけれど、イエス様の赦しと愛を受けて、

思いやりの気持ちをもって、妻に接して行きたいと思います。

聖書の約束は素晴らしく、今回の私の遅い決断を通しても、

生きている神様が働いてくれていることを、私に思い知らせてくれました。


最後に、私が言い聞かせているみ言葉と支えになった (これからも支えになる)

聖書の言葉を皆さんとシェアして、私の証を終わらせていただきたいと思います。


「いっさいのことを愛をもって行いなさい」 

(第一コリント16:14)

「あなたはわたしのしもべ。

わたしはあなたを選んで、捨てなかった。

恐れるな、わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな、わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強め、あなたを助け、

わたしの義の右手で、あなたを守る」 

(イザヤ41:9)


これまでの神様の導きと支えに感謝をします。

私たちの夫婦関係の復活と家族関係の再建を通して、

近い将来に、必ずや神様の栄光が輝く日が来ることを

信じたいと思います。




Posted by アブラハムささき at 16:51│Comments(5)
この記事へのコメント
ささき先生


ブログとしては長い文章ですが、こんなに中身のある証はなかなか見聞きすることができないです。


「人の気持ちは変えられません。 神様でないと人を変えることはできません。人を変えるには、まず自分が神様によって変えられないといけないのです」という牧師先生の言葉、大きな節目となったことでしょうね。


心がぐいぐいと引き込まれ、考えさせられました。ありがとうございます。
Posted by パスター菅野 またの名を出前牧師カンちゃんこと、菅野直基 at 2011年09月13日 17:02
すばらしい証しを感謝します。

大勢の人たちが家族に仕事を優先させて、後悔しています。

この証しを読みながら、愛がなければ、一切はむなしいという、聖書の真理の言葉が心に響いてきました。
Posted by ハレルヤ at 2011年09月13日 21:49
(T)さんの 証 を 読ませていただきました。

先日 送って頂いて 今日で4回読ませて頂きましたが、

渡米の事やご家族の事は違うと思いますが、

僕の今までの生きざまに似ている様な気がします。

まず 放蕩の件、家族問題、そして離婚の事。

僕の場合、まず放蕩ははんぱではなく、自分でお酒を飲んだりして遊ぶことは

なかったのですが、事業が上手く行っている時に、国外、国内で風俗店を数

か所でやったり、(これは性風俗ですから決して良い事ではなかったと反省し

ています)。これはクリスチャンになるまでやっていましたから数年前までやっ

ていました。

その他 飲食業、アクセサリー雑貨店、マージャン店、そして本業の

コンピューター関係の仕事を 札幌、東京、広島に会社を作って、全国に事

業展開していました。

盛岡に事務所を出した頃から、景気が悪くなり、収支が合わなくなって、結局

は本業の会社を破産に追い込まれ、海外の事業は詐欺師に騙され、今では

回収も不可能な状況になっています。

家族の事は子どもは長男は留学までしたものの、いまでは田舎に帰って コ

ンビニのパートのアルバイトをしています。次男は 学費未払いで、除籍処分

になり、結局 高校卒業扱いになりました。

この次男も田舎の国立病院で看護士を目指し、辛い仕事を懸命に頑張っています。

僕は田舎の実家からも(除籍)され、家内とも会社が破産する可能性も有り

一度 計画離婚をし、少し 会社が持ち直した事も有り、又 復縁をしましたが

結局 又 危機になりそうになり、又 離婚して、今に至っています。

書面上は僕は 完全孤独になりましたが、今は 以前より かたい絆で結ば

れている様な気がします。

しかし、遊ぶだけ遊んで、自分でやりたい事を思う存分 やってきて、結局は

どん底に陥ってしまいました。真面目に子どもを育ててくれた 家内には頭が

下がります。

その家内が生活が出来ずに苦しんでいます。

それを見ていると自分のやってきた、罪の重さをどうしても考えざるを得ない

のです。

この罪が神様からすでに許されているとも思えません。

今は「主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散

らす。・・・これら異邦の民の中にあって、あなたは休息する事も出来ず、

足の裏を休める事もできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、

目を衰えさせ、精神を弱らせる。あなたのいのちは、危険にさらされ、あなた

は夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなる。」

申命記28章64-66  まさに僕はここにいる様な気がします。

しかし「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべて

に主は近くあられる。」 詩篇145篇18節

この事をおしえれられた時、自分からイエスさまに対する信仰を本物とし、

神様と人々に対する信頼をもっと、もちながら成長して イエス・キリストさまに

近づかなければいけない。と思っています。

明日 生きているかどうかは神様が下してくださる裁判で決まると思います。

いつも祈ってくださっている佐々木先生、そしてクリスチャンの仲間の方々に

感謝します。佐々木先生 いつも有難うございます。

いつまでも僕を見守って下さい
                          オバマ
Posted by OBAMA at 2011年09月14日 01:37
オバマさま

正直な証しを感謝します。

人生のすべての問題の解決は、イエス・キリストにあります。

イエスとは一体誰なのか?

イエスは一体何をしてくれたのか?

イエスは自分と一体どんな関係があるのか?

聖書は初めから終わりまで、

「イエス・キリスト」 について書かれているのです。

ですから、イエスに照準を合わせて、

聖書を頭読ではなく心読していくと、

問題は自然に解決していきます。

生きる希望と勇気を力が、心の底からわき起こってくるからです。

イエスは言われた、

「わたしを信じる者は、その人の心の奥底から、

いのちの水が川のようにあふれ出てくるであろう」

(ヨハネの福音書)
Posted by アブラハムささきアブラハムささき at 2011年09月14日 14:39
先生 ありがとうございます。

田舎に帰って まだ 4日目ですが、無駄な日にちを 過ごしているだけの様な

気がします。ただ 今は 何をするにしても、まったく気持ちが入りません。

3日3晩徹夜して、4日目に入っていますが、毎日が片っぱしから家に有るも

のを中古買い取りショップに持ち込んでいます。

東日本大震災の被害にあった方の事を思うと、 僕や家内が思って

いることは贅沢な悩みなのかも知れません。

しかし生きる事の難しさを知りました。

ペテロの様に、水の上を歩いて見たいです。

それには 余程の信仰心が必要だと思います。

イエスさまを信じる・・・と言うか 信じたい。そう言う気持ちです。

 下記は 佐々木先生からメールを頂きました。

  佐々木先生の実体験談です。

許可は得ていませんが、もし 僕と同じような環境で苦しんでいる方がいらっ

しゃれば、是非 お読みください。

これはブログにも、証にも出されていない事です。

僕はこのメールを頂き、先生のお気持ちに心から感謝します。 オバマ



                 「暗黒のトンネルを通過して」


ぼくも、長い人生のうちで、何度かぼくなりに 「生きるか死ぬかの窮地」 を体験してきました。

聖書を読む気力もわかない、祈る気持ちにもなれない。。。 ただその日その日を生き抜いた日々。。。

ある人を助けようとしたことがきっかけで、自分だけでなく、家族や人々の命にかかわる事件に発展。。。

学歴も、資格も、人脈も、お金も、何一つ役に立たない日々。。。

食欲もなく、夜は眠れず、非難と攻撃にさらされた緊張の日々。。。

外見だけはなんとか取りつくろっていても、実態は廃人のようにとぼとぼ歩いた日々。。。

世界がモノクロでしか見えない日々。。。

永遠につづくかと思っていたほど、出口の見えない暗黒の日々。。。

しかし、イエスさまはいつもこう励ましてくれました。

「大丈夫だ、わたしがついている。 今日の一日を生き抜きなさい。

そうすればいつかはこの暗黒のトンネルを通り抜ける日が来る」

ようやく5年目にして、ある日突然、トンネルを通過して、明るい世界に出ることができました。。。

その過程で、ぼくなりにすべてを失いました。

しかし、その過程で、裸一貫でキリストがすべてであることを体験できました。

失ったものは何一つ惜しいとは思いませんでした。

キリストを知る絶大な価値にくらべれば、それらは糞土にすぎないと、思えるようになりました。

今のぼくにとっては、あの暗黒の5年間こそが、人生最高の恵みの時でした。

それに比べれば、この世的には人もうらやむような恵まれた時代も、無に等しい期間です。

その証拠に、それらの恵まれた時代を懐かしく思い出すこともありません。

むしろ逆に、あの暗黒のトンネルの日々をいつも懐かしく思い出します。

とてもとても苦しかった。。。 毎日が生きるか死ぬかの真剣勝負。。。

だからいつもイエスさまによりすがって生きられた。。。 あんなにいのちに充実した日々はなかった。。。

過去を振り返ってみると、失敗した時、失った時、窮地に追いつめられた時、、、こそが、真に恵みの時でした。

ですから、今のぼくは失うことはなにも怖くはありません。

あの時の苦悩にくらべれば、今の苦しみは、ちょっと蚊に刺されたようなものです。

今オバマさんは人生最高の恵みの時を体験しているのです。

ぼくが言っていることは、社会的に恵まれた人の、机上の空論ではありません。

自分が実際に体験したことを語っているのです。

すべての解決は、オバマさんがキリストに出会い、イエスを知る絶大な価値ある世界に入っていくことです。

感謝します。                               オバマ
Posted by OBAMA at 2011年09月16日 00:42
 
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