2011年09月03日

 竹脇無我さんの壮絶なる生涯


  ・・  「神はそのひとり子を賜ったほどに、

       この世を愛してくださった。

       それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、

       永遠の命を得るためである」

       (ヨハネによる福音書 3:16)


< 知人の俳優・竹脇無我さんが8月21日急逝しました。 死因は小脳出血、享年67歳でした >          


「俺が求めていたものは、まさにこれだ! 

おい、悪いけどこれもらっていくよ!」


10年以上前のことです。

福音伝道の目的で、大阪にいる小学校の同級生のH氏宅に

新約聖書と私の書いた文書などをまとめて郵送しました。

H氏は後で読もうと思って自分の机の上に置いておいたのですが、

彼の家に泊まっていた竹脇無我さんがそれを見つけ、

むさぼるように読んで、東京に持ち帰ってしまったそうです。
 

無我さんは当時、うつ病との壮絶な闘いの中にありました。

ホテルに一人で泊まるとすぐに死にたくなるので、

大阪で公演する時はいつもH氏宅に泊めてもらっていたのです。
 

「そのころ、僕の頭の中は 『死にたい衝動』 で埋め尽くされていた。

ビールを飲んでいても、道を歩いていても、人と話していても、

何をやっていても、とにかく死にたい。

『お前は生きてちゃいけない』、と何かが絶えず僕を呼ぶ」

「ふさぎ込んで酒浸りの日々を送るうちに、

顔にとげのある竜に似た 『怪物』 が私の頭の中に入ってきて、

毎朝起きると襲ってくるようになったんです」

< 「凄絶な生還、うつ病になってよかった」 > (マキノ出版 )に、

無我さんはこう書いています。
 

青山学院高等部在学中に映画デビュー。

以来、映画、テレビ、舞台で、人気俳優として華々しい活躍を続けてきた無我さんは、

ある時からうつ病にかかり、8年間の地獄の日々を体験することになりました。

「自分のうつはもう治らないのではないか、役立たずで人の重荷になるだけのダメ人間だ」

そんな思いが高じると、強度の自殺衝動に駆られていきます。
 

「死ぬ勇気なんかない方がいい。

どんなにつらくても、みっともなくても、生きていさえすれば、うつ病は治る。

そして違う世界を見ることができる」

テレビや週刊誌で無我さんは、

「絶対に死んではいけない。 とにかく生き抜くんだ!」

と繰り返し語っていました。


クリスチャンの兄・竹脇義果 (よしみ) さんは、

弟・無我さんの霊の救いと心のいやしのために毎日祈っていました。

本人が意識していなくても、無我さんを本当にいやしてくださった方は、

すべての病のいやし主、イエス・キリストなのです。

ですから、私が知人に送った聖書や福音文書を見つけ、むさぼるように読んだのでしょう。
 

「うつ病が治れば、前よりもっと元気になる。

違う世界が見えて世界が広がる。

自分のやりたい役のイメージがはっきりしてきて、それを目指していこうという気になれた」

人々の目を意識して無理に背伸びをしてきた無我さんは、

「あるがままの 『等身大』 の自分」 で生きられるようになりました。

「うつ病になって本当によかった」 と喜んでいました。


元気になった無我さんと何度かお会いして、大阪の新地や東京の赤坂の無我さんの行きつけのバーで、

キリストの福音について長い時間語り合いました。

でも無我さんは、 「キリストを信じたいのだが、どうしても信じ切れない」 

というジレンマに悩んでいました。 

その後、私が製作に部分的に関係したクリスチャンの映画 「ふうけもん」 に

主人公の兄貴役で出演してもらったこともありました。

無我さんがキリストに出会うようにと、私は仲間たちとずっと祈ってきました。 


無我さんの遺言により、

葬儀は世田谷の日本キリスト教団・東京都民教会 

において行われたとの記事を読んで、

「無我さんはついにイエス・キリストを信じたんだなぁ」 

「きっと天国に行ったんだ」 と思いました。 

亡くなる前はキリスト教の学びに没頭していたそうです。 


この7月には左右両眼の白内障の手術に成功し、

「さあ、これから顔のシミを取り除いて、新しく出発しよう!」

とH氏に話していた矢先だったそうです。


無我さんのすぐ上の兄、竹脇真理 (まこと) さんは、

麻布高校時代にクリスチャンになりました。

イエスを信じて永遠の命を得た真理さんは、

麻布高校でトップクラスの成績であったにもかかわらず、

目標としていた東大進学の夢を自ら捨てて、

「高校卒業後はキリスト教の宣教師になって貧しい国で福音を伝えるんだ!」

と福音宣教の大きなビジョンと熱い情熱に燃えていました。


ところが、真理さんは突然脳腫瘍を患い、天国に召されて行きました。

18歳で逝った若き信仰者・竹脇真理さんの日記をまとめた

「勇ましく高尚な生涯」 

(いのちのことば社刊、後に小学館刊) という本は、ベストセラーになりました。

真理さんの純粋で真摯な思いが伝わってきて、涙なくしては読めない本です。
 

真理さんは、弟の無我さんをとても可愛がり、よく面倒を見ていました。 

なんとかして無我さんがキリストを信じて欲しいと、熱心に福音を伝えました。

真理さんの導きで、無我さんは、イエスを信じる告白をしました。 

青山学院で学んでいましたから、毎日の礼拝を通しても福音に触れていたのでしょう。 

でも、最も信頼していた真理さんの急逝に非常なショックを受けて、 

「なぜあの熱心なクリスチャンで宣教に燃えていた真面目な兄が死んでしまったのか?」

と、神に失望して信仰を失ってしまったのではないかと思います。


それからの無我さんは、

俳優の道に入り、一直線にトップスターの栄光に輝きましたが、その生涯には、

父の昌作氏の自殺、長兄の義果氏の半失明、次兄の真理氏の夭折、

何人かの女性との不倫の騒動、10年にわたる別居生活、離婚の悲劇、8年にわたるうつ病の苦悩、

芸能界から転落した失意とそれに伴う経済的困難、うさを紛らわすためのアル中のさまよい、、、、

があり、実に壮絶な道程を歩むことになりました。


けれども、壮絶などん底の中で無我さんがいつも追い求めていたのは、

敬愛する兄・真理さんが命を懸けて信じていた、

まことの救い主・イエス・キリストとの出会いだったのです。

どのような壮絶な生涯をも超越する力のある 「永遠の命」 だったのです。


この世に生きる最大の目的を達成した無我さんは、イエスに連れられて天国に凱旋して行きました。



参考  ・・・  竹脇無我さんの 「うつ病との壮絶な闘い」

          http://inori.livedoor.biz/archives/50531412.html

         竹脇真理さんの 「勇ましく高尚な生涯」 フリー脚本

          http://konoyubi-drama.net/drama/daihon/IsamashikuKoshonaShogai.pdf 

         竹脇義果さんの 「NHK教育テレビでの対談」 

          http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-30.htm 





Posted by アブラハムささき at 13:42│Comments(9)
この記事へのコメント
ささき先生

昨晩遅く、関西の伝道旅行から帰宅しました。
金・土はもろに台風の影響を受けました。
フルタイム四輪駆動にして高速道路を走行しましたが、何度か暴風に煽られ2~3m横に飛ばされました。とてもスリリングで手に汗握りました。

私が関西に行っている時、民主党の代表選挙が行われて、野田さんが代表に選出され、新総理になりました。

無我さんが天国に召されて行ったのは、先生がアメリカのグランドキャニオン創造論探査ツアーに行かれている時でしたね。

どんなに親しい人でも、死のトンネルを通過する時に
一緒にいれる人はいませんが、イエスさまは、この世でも目に見えませんが無我さんと一緒におられ、死のトンネルを渡る時も一緒に渡られ、天国で今、目に見えるイエスさまと共におられることと思います。

数年前の国会クリスマス晩餐会でお会いし、握手を交わしたことを思い起こしますし、それだけに寂しさを感じます。

短い生涯でしたが、神と出会い、素晴らしい人生であったと確信します。

かんの
Posted by パスター菅野 またの名を出前牧師カンちゃんこと、菅野直基 at 2011年09月04日 08:51
久しぶりに 先生のブログを 読みました。

竹脇無我さんは 外面と内面が あまりにも違う事で知っていましたが、

ブログを読ませていただいて、余りにも壮絶な人生を送られていた事を知り、

ショックを受けています。

無我さんはNHKで活躍されていたアナウンサーだったお父さんを突然亡くされ、

そしてお兄さんの真理さんの余りも短い生涯、あの2枚目のクールな役柄の

無我さんからは想像もつきませんでした。

時々 佐々木先生から無我さんへのお祈りの事をお聞きしていましたが、

ここまで、壮絶な人生を送っていた方だったとは知りませんでした。

しかし、最後はイエス様に出会う事が出来て、天国に導かれた事を 

表現は良くないですが、良かったですね。と無我さんに伝えたいです。

俳優になられたのも、家庭の経済のためだと聞いた事があります。

よく耐えて、2枚目俳優として頑張ってこられましたね。

召されてからでは遅いのですが、一度お目にかかりたかったです。

冒頭にも書きましたが、外面と内面を違って生活するほどつらい事は

なかったと思います。 

お兄さんの真理さんも受洗して丁度一年後に亡くなられています。

無我さんはクリスチャンに対して 何故、何故?の苦しみの人生

を通られていたときはどんなにもつらかったでしょう。

安らかにお休みください。天国でもクールな2枚目俳優として 頑張ってくださ

い。                                    オバマ
Posted by OBAMA at 2011年09月05日 02:46
「生きている意味がわからない。 死にたい、死にたい」

と言っている長年のうつに苦しんでいた方が、オバマさんの紹介で竹脇無我さんのこのブログを読んで大変参考になったとの報告があったそうです。

無我さんの証しが死後も人々のために訳に立っていることは、うれしいことですね。。
Posted by アブラハムささき at 2011年09月05日 13:22
韓国ではトップスターの中にクリスチャンが大勢います。神さまを賛美して自由におおらかに歌ったり演技したりしています。

日本のスターにもクリスチャンが出てくるといいですね。

お祈りします。
Posted by キム at 2011年09月05日 13:54
自分が もしかしたらうつ病なのかも知れない。と思う事が最近 よくあります。

竹脇無我さんと同じ、生きている意味がわからない。

なんでこんなに苦しむんだろうと世の中を恨めしく思うときがあります。

今日 韓国の牧師先生に 聖書について わーっと 攻められてしまいました。

聖書を信じていないからだ!!聖書をもっと読みなさい!!

その言葉に僕がバカな性もあって反感してしまいました。

クリスチャンなんか嫌だ。とさえ思いました。

嫌だ嫌だ と思いながら帰宅しました。

でも、帰ってから、佐々木先生の奥様の手作りのおにぎりの中に目玉焼きが

入っていました。

僕は毎日のように 佐々木先生の奥様が作ってくださったおにぎりで生活

しています。

昨日から頭痛が激しいのですが、今は奥様が作ってくださった

おにぎりを涙流しながら頂いています。 有難うございます。

                                      小濱 敏雄
Posted by OBAMA at 2011年09月06日 02:13
小濱さん

佐々木夫人のおにぎりを毎日食べていたんですね。
元気の源はそこにあったのですね^^
Posted by パスター菅野 またの名を出前牧師カンちゃんこと、菅野直基 at 2011年09月06日 07:48
昨日 韓国の牧師先生からの説教が効いたのか、今夜は聖書を読んでいます。

旧訳聖書の方なので 読めば読むほどわからなくなってきますが、

昔は休薬聖書だったはずが、今は目がギラギラ輝いて まだ読んでいます。

特に 竹脇真理 さんの生涯を読んで 刺激されました。

それに 昨日(一昨日)のVIP駒場東大でのバイブルスタディに参加させて

頂いた時の 平野先生が 講師してくださったばかりの、パウロが投獄されて

いる時に 書いた 私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であ

る。  ピリピ 1・21 

この聖句が竹脇真理さんのモットーだったそうで、神様から聖書を読みなさ

い。と言われた気がしました。

昨日は押し付けられて抵抗してしまいましたが

今夜は自分から自然に読んでいました。

でも頭痛は益々ひどくなりそうです。            オバマ
Posted by OBAMA at 2011年09月07日 05:15
ある日、私は御霊に感じました。すると、御言葉に宿る聖霊に導かれて、天に昇る自分の姿が目の前に浮かんで来ました。そこに現れてきた私の姿は、両脇を天の御使いたちに抱きかかえられて、やっとの思いで天の門までたどり着いた姿でした。

すでに、私の肉体は死人となって葬られ、肉に属する霊は四方八方に散らされて、バラバラになりながら崩壊していきました。そして、死後、内なる霊魂は肉体から離れて、陰府(よみ)にくだっていき、そこで生前経験した魂の腐敗や不浄、欲望や悪しき思いなどがことごとく剥ぎ取られていきました。この苦しい浄化を経て、私の魂はほとんど意識を失い、死んだようになってしまいました。

この陰府(よみ)のところで「三日目」と呼ばれる期間を過ごした後、「あなたは、よみがえりです。いのちです。主イエス・キリストを信じるものは、死んでも生きるのです。」と叫んでいる御言葉で目が覚めました。見ると天の御使いが、「あなたは永遠のいのちによみがえりました。さあ、わたしたちと一緒に天に昇りましょう。」と語っているのが聞こえました。

こうして、私は、死人の内からよみがえって、天の御使いたちと共に天に昇り、天の門までたどり着いたのです。その時、「天の門を入ると、裁きの座に着くのではないだろうか」と思いました。すると、聖霊が私の耳元で静かに語られました。「『裁き』の霊的な意味は、『区別する』ということです。あなたは、すでに主イエス・キリストによって買い取られたのです。あなたは、十字架によって罪が許され、救われてキリストのものとなったのです。羊飼いが羊と山羊をより分けるように、あなたは御名のもとに集められ、御国を継ぐものとなったのです。さらに、あなたは世では、神の御心を行ったのですから、天は喜んであなたを迎え入れてくださいます。」

私たちが「天に一つの開いた門」に到着すると、ラッパのような大きな声が響き渡りました。「この門をくぐりなさい。天の大庭に入り神をほめたたえなさい」。御霊に導かれて御使いたちと共に天の門をくぐると、そこには大いなる光景が広がっていました。

天には一つの御座があって、栄光に輝く主イエス・キリストがその御座に着いていました。キリストは碧玉や赤瑪瑙のように色鮮やかに輝き、その美しい輝きは御国と天地の全てに渡って力強く照り輝いていました。御座の周囲には緑玉のような虹がかかり、御座を優しく包み込んでいました。また、御座の前には水晶のようなガラスの海が広がり、光り輝く大海原のようにどこまでも続いていました。

また、御座の回りには白い衣を着て、金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていました。その顔はみな主の栄光に輝き、愛と感謝に満ち溢れていました。その時、御座からいなずまと大いなる御声と雷鳴がとどろき、七つの御霊のともしびが、御座の前であかあかと燃え上がっていました。

すると、御座の中央とその周囲に、前も後ろも目で満ちた四つの生き物が現れてきました。

第一の生き物は、獅子のようであって威光と尊厳に満ちていました。そのうなり声は天地を震え上がらせています。

第二の生き物は、雄牛のようであって力と富に満ちていました。そのうなり声は天地に慰めを与えています。

第三の生き物は、人間の顔のようであって愛と恵みに満ちていました。その声は天地に栄光と賛美を与えています。

第四の生き物は、空飛ぶ鷲のようであって勢いと誉れに満ちていました。そのうなり声は天地に信仰と希望を与えています。

この四つの生き物は、それぞれ六つの翼を大きく広げて、昼夜を問わず叫び続け、また、その回りや内側に満ちている目で御座を鋭く見つめているのです。

この大いなる光景を驚愕しながら見ていると、四つの生き物たちは、御座に向かって栄光と誉れと感謝を捧げ、つづいて、二十四人の長老たちも、御座の前にひれ伏して、金の冠を頭から投げ出して礼拝を捧げました。また、万の幾万倍、千の幾千倍の天の御使いたちが御座に向かって、天地の隅々にまで響き渡る大きな声で賛美を捧げました。そのありさまは、世では見たことがないほど美しく栄光に満ち、聖なる愛と力に包まれていました。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたの御心ゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

私は、この素晴らしい光景を見たとき、「主よ、これはあの黙示録4章に書かれている光景ではありませんか。あそこにおられる二十四人の長老たちや、あの四つの生き物たちの姿はみな聖書に書いてある通りです。今、聞いている賛美もすべて聖書に書いてある通りです。主よ、聖書に書いてある御言葉はみな真実だったのですね。」と思わずと叫んでしまいました。すると、聖書に宿っている聖霊は、私の顔をじっと見つめました。こうして、私はこの荘厳な礼拝に参加したいと思い、天の御使いたちと共に一斉に声を張り上げ賛美を捧げました。

「ほふられた子羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」

そして、これに応えるかのように天と地と、地にある山や海、地に造られたすべての生き物、海の魚、空の鳥、植物や木々、あらゆるものが天に向かって賛美の歌声を上げます。

「御座にすわる方と、子羊とに、賛美と誉れと栄光が永遠にあるように。」

御座の中央とその周囲にいる四つの生き物は、絶え間なく「アーメン」と叫び、二十四人の長老たちは金の冠を投げ出し、地にひれ伏して拝みます。天の御座いっぱいに響き渡る賛美は終わることなく、尽きることなく、いつまでもいつまでも永遠に捧げられます。

この後、私は、全能の父なる神の右に座している主イエス・キリストの御前に集められて、永遠のいのちに輝くようになったのです。そして、御心が示されて地に下るまで永遠に生き続けるのです。

(使途信条、ヨハネ11:25、マタイ25:32~34、マタイ7:21~23、黙示録4:1~11、黙示録5:11~15)
Posted by eulogesai at 2012年09月05日 17:23
昔竹脇真理さんの本を読んで感動したのを思い出しました。
私も今は牧師になっています。竹脇無我さんのことは、いつも祈りの中に覚えて祈っていました。今日、これらの記事を知り本当にうれしく思っています。因みに、個人的には無我さんのフアンでもありました。また、無我さんや、お兄さんの真理さんと天にて会えることを楽しみにしています。72歳牧師は引退しています。
Posted by 柳下 静雄 at 2012年10月29日 01:37
 
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