2011年05月11日
「ガンバレ!」 をやめよう!
・・ イエスは言われた、
「すべて重荷を負って疲れている人は
わたしのもとに来なさい。
わたしが休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者である。
わたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすれば、あなたの心は本当に安らぐであろう。
わたしのくびきは負いやすいのだ。、
わたしの荷は軽いのだ」
(マタイの福音書 28-30) <私訳>
「ガンバレ、東日本!」
「ガンバレ、ニッポン!」
「ガンバレ、日本人!」
「ガンバレ、福島!」
東日本大震災以来、
日本中が
「ガンバレ!」 「ガンバレ!」 「ガンバレ!」
の大合唱。
韓国からも、中国からも、アメリカからも、アフリカからも、
「ガンバレ!」 「ガンバレ!」 「ガンバレ!」
と励ましのメッセージが届けられてきます。
「ガンバレ!」 は、日本語の枠を超えて、今や世界語に定着した感があります。
「ガンバレ!」 は、日本の代名詞でもあります。
日本人はそれほど 「ガンバル民族」 なのです。
「ガンバレ」 は、日本人のメンタリティに深く根ざし、日本の文化の基盤でもあります。
「ガンバッテネ!」 「ガンバリマス!」 「ガンバロウ!」
これほど頻繁に多用されている日本語も、あまりないのではないでしょうか。
「ガンバル」 とは、どういう意味なのか?
どうして 「ガンバル」 必要があるのか?
そんなことを考える余地もないほど、
「ガンバル」 は、
当然のこととして、日本中に浸透しています。
「ガンバレ!」 の反対は、 「オツカレサマ!」 です。
「オツカレサマ!」 「オツカレサマ!」 「オツカレサマ!」
朝から晩まで、日本人の挨拶用語は、 「オツカレサマ!」 になってしまいました。
「オツカレサマ!」 は、ひと頃までの挨拶用語、 「ゴクローサマ!」 を追い抜いてしまいました。
「ガンバレ!」 「ゴクローサマ!」 「オツカレサマ!」
これが日本人が最も多用する日常挨拶用語だとすると、
なにか、おかしいのではないでしょうか?
「ガンバレ! 円谷!」 「ガンバレ! 円谷!」 「ガンバレ! 円谷!」
日本中の声援を浴びて
東京オリンピックのマラソン競技で銅メダルを取ったのは、
自衛隊の、円谷 (ツブラヤ) 幸吉選手でした。
次のメキシコオリンピックの金メダル候補選手として
自衛隊、家族、日本人の期待を一身に背負い、
毎日、毎日、マラソンの練習に明け暮れました。
けれども、周囲の期待と声援でガンバリすぎて、心身の調子を崩した円谷選手は、
マラソン練習の記録も次第に落ちて、
私生活も思い通りいかなくなってきました。
「父上様、母上様、
幸吉は、もうすっかり疲れきってしまって走れません。
何卒お許しください」
まじめで責任感が強く礼儀正しい好青年の円谷選手は、
こう書いた遺書を残して自殺し、
日本中を悲しみの涙の渦に巻き込みました。
円谷選手の 「あまりにも切ない死」 に、いたく共感した
ノーベル賞作家の川端康成と、文豪の三島由紀夫は、それぞれ後になって自ら命を断ちました。
以来、日本人の 「切ない死の美学」 とかいう言葉がもてはやされてきました。
あの 「ガンバル」 円谷選手に、今も同じ日本人の姿を見ないでしょうか?
あの円谷選手に 「ガンバレ!」 声援を送った日本に、今も同じ日本の姿を見ないでしょうか?
どうして、そんなに 「ガンバル」 のでしょうか?
どうして、そんなに 「ガンバル」 必要があるのでしょうか?
もっと別の生き方が、あるのではないでしょうか?
・・ 「今日というこの一日は、主が造られた、とてもすばらしい日です。
今日というこの一日を、大いに喜んで、大いに楽しみましょう」
(詩篇 118:24) <私訳>
Posted by アブラハムささき at 13:15│Comments(1)
この記事へのコメント
なんだか、自分のことを言われているみたいです。
我ながら、ちょっとガンバリすぎかなぁ!
でも、ガンバラナイと、自分にも人にも負けてしまうみたいだし、どうしたらいいんでしょうか?
我ながら、ちょっとガンバリすぎかなぁ!
でも、ガンバラナイと、自分にも人にも負けてしまうみたいだし、どうしたらいいんでしょうか?
Posted by よしおか at 2011年05月11日 16:33