2011年03月20日

粘り強さを発揮しよう!  ( ネバーギブアップ! )


「この世の中で 『粘り強さ』 に勝るものはない。

才能があっても駄目だ。 才能のある失敗者は大勢いる。

天才であっても駄目だ。 報われない天才は大勢いる。

高学歴でも駄目だ。 高学歴の落後者は大勢いる。

しかし、 『粘り強さ』 があれば、決意したことはどんなでもできるのだ。

『粘り強さを発揮しよう!』

これこそが、人類のあらゆる問題を解決してきたし、これからも解決していくであろう」
    
(カルビン・クーリッジ)
 

「サイレント・カル」 (無口のカル) と言われた、

アメリカ合衆国第三十代大統領 「カルビン・クーリッジ」 は、

寡黙でしたが数々の名言を残しました。

黙々と粘り強く働き、

「 国家が、国民から必要以上の税金を徴収するのは、合法的強盗である 」

と言って、税率の低減と国債発行の縮小を図り、

著しい経済成長を合衆国にもたらしたのです。


「黙々と粘り強く働く」

これこそまさしく、日本人の天与の特徴です。 

この 「粘り強さ」 を発揮して、日本を世界の経済大国へと押し上げてきたのです。

今、日本は戦後最大の試練に遭遇していますが、

私たちは、この持ち前の 『粘り強さ』 を発揮して、必ずこれを乗り切り、

もっとよい国家と社会を建設していこうではありませんか。

 
「悲観主義者はあらゆるチャンスにピンチを見る」

「楽観主義者はあらゆるピンチにチャンスを見る」
  
( ウィンストン・チャーチル)
 

どのような状況にも耐え抜くことができるような 『本当の粘り強さ』 は、

全能の神を信じる信仰によって生み出されるのです。
 

「患難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、

練られた品性が希望を生み出す」  

(ローマ人への手紙5:3~4) 


昨年2010年に起きたチリ鉱山事故。

地底700mに2ヶ月以上も閉じ込められながら、彼らは決して希望を失いませんでした。

捜索のテント村は、 「エスペランサ」 (希望)と名づけられました。

救出作業中に誕生した、閉じ込められていた作業員の娘さんは、 「エスぺランサ」 と名づけられました。


「私たちは33名ではなかった。 神が共にいて下さったから、34名だったのだ!」

最初に救出されたフロレンシオ・アバロスさんの、第一声です。

そうです。 信じようと信じまいと、神はあなたと共にいてくださいます。

聖書において、万物の創造主は、 「希望の神」 と呼ばれます。

いつもあなたと共にいてくださる、この 「希望の神」 に希望をつないで、

あなたの 『粘り強さ』 を発揮していくならば、

どのような試練や困難をも、乗り越えていくことができるのです。





参考  ・・・  韓国中央日報の社説

      < http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138189&servcode=100§code=110 >

         
         チリ落盤事故のリーダー、 「ルイス・ウルスアさん」 からの

         東日本大地震被災者への、励ましのメッセージ要旨 

          「生き抜くための 『鍵』 は、どんな時も、

           希望を持ち続けること。

           闘い続けること。
  
           団結すること。

           生きることをあきらめないこと。

           また、一からやり直せばいいのです。

           楽観的になってください。

           希望を失わないでください。

           私たち33人の魂も、世界の多くの人々の魂も、

           つらい思いをしている、あなた方に、寄り添っています」

          (朝日新聞 2011.3.19) 





Posted by アブラハムささき at 02:05│Comments(4)
この記事へのコメント
ささき先生


こんばんは。
日曜日は長い一日です。
今ホッとしているところです。


東日本大震災が起こってから、
先生のブログがこの時期にはじまったのはこの時のためだったのでは?
と感じています。


毎日、ホームランをかっ飛ばしっているように今日も爽快です。
ありがとうございます。


菅野直基
Posted by パスター菅野 at 2011年03月20日 21:31
先生 ブログ感謝します。

今回の大震災が起きたとき 私は 悪夢かと思いました。
地震が起きて すでに10日経ちます。
その10日前は真剣に被害者の方たちを祈りました。

しかし、今は祈る事の余裕さえありません。
寂しい人間に落ちてしまったような気がします。

昨日はパソコンさえも開きませんでした。
今日は滝に打たれようと思い 滝を探しました。

しかし現実逃避はできませんでした。
何とか危機を脱出したいと思いますが、人間の考えではどうにでもなりませんね。

答えがわからず、もだえ苦しんでいます。      小濱 敏雄
Posted by 小濱 敏雄 at 2011年03月20日 23:28
21年も前に洗礼をいただいたのですが、主を見失い、気が付けば社会からも落伍し、意気消沈しながらダラダラと数年の日々を浪費してしまいました。でも、先生のブログを見て、励まされています。イエス様が生きておられること、を私自身はまだよく実感できていないのですが、実感して生きておられる方の言葉に触れることで、間接的にでも、主が生きておられることを、うっすらとでも感じられるからです。ありがとうございます。これからも、是非更新していってください。
Posted by haru at 2011年03月21日 00:06
小濱敏雄 様

いつもコメントありがとうございます。

本当に苦しい時は、聖書読む気にもなれない、祈ることもできない、人と会うこともできない、なにもできない状況に落ち込みます。

私も何度もそんな状況を体験してきました。

だから、確信をもって、皆さんに、「どんなことがあっても大丈夫!」「 ドントウォリー!」 と言えるのです。

どん底において耐える秘訣は、先のことを考えずに、「ただ今という時を生き抜けばよいのだ」ということでしょうか。

どんなにく苦しくても、今はなんとかなります。

今をなんとか生きれば、その連続で明日になり、またその連続でいつのまに明後日になります。

でも、なんとか生きています。

そうやって、なんとか時間を稼ぐのです。

不思議なことに、「明日は明日の風が吹く」のです。

不運が突然、地獄から襲ってくるように、幸運も突然、天国から降ってきます。

とにかく、今を生きましょう。

決してあきらめないことです。

ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアップ!
Posted by アブラハムささき at 2011年03月21日 01:54
 
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