2011年02月14日

神はあなたのために戦ってくださる。


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JESUS LOVES YOU!
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  ・・  「恐れてはいけない。 

       しっかり立って、 

       今日、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい!」 

      (出エジプト記14:13)


選り抜きの戦車六百台とエジプトの全戦車を率いた、

復讐の怒りに燃えるパロ王は、

エジプトから脱出してきたモーセの率いるイスラエルの民を全滅させるために、

大軍勢をもって背後から攻めてきました。


イスラエルの前には紅海が立ちはだかり、

絶体絶命のピンチです。 

彼らはあわてふためき、恐れおののき、

不信仰の言葉を全能の神に浴びせました。 

「私たちをエジプトから連れ出したりして、

いったい何ということをしてくれたのですか! 

エジプトで奴隷でいた方が、

この荒野で死ぬよりよほど良かったのに!」


「エジプトから連れ出してください!」

と叫び求めてきたのは彼ら自身だったことも、忘れていました。


「神が戦ってくださるから、恐れてうろたえないで、しっかり立っていなさい!」 

神の人モーセは、こう命令しました。

全能の神は、なんと紅海を真っ二つに分けて、

イスラエル全員を渡らせたのです。 

追撃してきたエジプトの大軍は、

紅海の水に呑み込まれて、全滅してしまいました。


あれほどの愛と数々の奇跡をもって、イスラエルをエジプトから救い出した、万軍の主です。 

荒野でおめおめと敵の手に渡して、イスラエルを滅ぼさせるはずがありません。

イスラエルはすぐにその大恩を忘れて、

困難に遭遇するとそれを神のせいにして、

神を呪ったのです。

その後の荒野の生活においても、試練に会う度に、

モーセと神に盾を突つきました。


霊のイスラエルであるクリスチャンも、同じかもしれません。 

キリストの十字架の血潮の犠牲によって救われたのにもかかわらず、

ちょっとした試練に合うと、

「クリスチャンになっても何もいいことがない。 

こんなことなら、クリスチャンならないでいた方がよかったのに」

こうつぶやいてしまいます。


けれども愛の神は、どのような試練からもあなたを助け出してくださり、

いつくしみと憐れみを注いでくださいます。

宇宙万物の創造者・全知全能の神に

できないことは何もありません。

私たちを救うために

御子イエス・キリストをも惜しまずに十字架に付けてくださった神の愛に洩れる人は、

ただの一人もいないのです。


問題の大きさや困難の厳しさを見て、

全能なる神を疑ってはいけません。

神の能力の超偉大さと神の限りない愛の深さから、

問題を見なくてはならないのです。


出エジプト記14章をよく読んでみましょう。 

神はご自身の偉大さを示し、そのすばらしさを教えるために、

あえてエジプトの王パロに、イスラエルを攻撃することを、許されたのです。


すべての問題は、あなたの前に神の栄光が現れるために、

あなたの中に神の愛が注ぎ込まれるために、

あなたと神との関係が深まるために、

神の御手を通してもたらされてくることがわかるでしょう。


今日も愛の神は、

あなたの前に立ちはだかる問題の紅海を

真っ二つに分けてくださり、

あなたを安全に解決へと導いてくださいます。 

あなたを追いかけてくる、恐れや心配は、

ことごとく、問題の中に消え去ってしまうのです。 



  ・・  「主があなたがたのために戦われる。 

       あなたがたは黙っていなければならない」 

      (出エジプト記14:14)



Posted by アブラハムささき at 21:36│Comments(4)
この記事へのコメント
紅海をわたった事はみんなが知っていると思います。
これは常識ではあり得ないことです。
絵画にもよくありますね。
雄大な川を渡っているとき、イエス様が棒を、持って、大きく 天に向けて指すのではなく、広げていらっいます。
あれは意味は何だったのでしょうか?
もっと 広い道を作りたかったのでしょうか?

そうではなく、ちょうど人が渡れるくらいの幅だったのです。

渡り終わった頃には、水は元通り、何もなかったようにエジプト人だけを包み込んで、追いかけてこないようになさいました。

私が イエス様と あって、そんな場面に出くわしたらどうなるでしょうか?
おそらくビックリして逃げ出すかもしれません。

韓国のビジネスが99%まで来ているのに、あと少しです。
ジグゾーパズルの最後のパーツがどこかが狂っていて、99%までしか出来ていません。あと一歩です。一パーセントでも、たらければ0と同じです。
今は祈るしかありません。                  オバマ
Posted by Paul Obama at 2011年02月14日 23:42
ささき先生


クリスチャン生活が長くなれば長くなるほど感じるのは、
あのイスラエルの民は人ごとではないと感じます。


クリスチャンになった当初は、外面的な罪にだけ目が向い、悔い改めますが、内面的な自己中心性や利己主義、愛のない自分の姿、神さまの愛をたくさん受けたにもかかわらず、神さまに全面的に信頼できない弱さを感じます。


イエスさまは、そんな私たちを、そのままの姿で愛し、受け入れ、支えて下さり、少しずつイエスさまの姿に変えて下さることに希望を感じます。


お母さんの腕の中で抱かれている赤ちゃんのように、神さまを信頼し、委ね歩みたいです。

と、ぎっくり腰でまだ不自由な私ですが、主に委ねきる決断をし、
感謝と讃美の祈りを捧げています。


ハレルヤ!


かんの
Posted by 出前牧師カンちゃん at 2011年02月15日 00:35
佐々木先生

ソウルで 先生のブログやメールでずいぶん励まされました。

周りは ハングル語での会話ばかりで、異国でのビジネスの難しさ思い知らされています。

一人で韓国に乗り込みましたが イエス様の力を頂かないと事は 成就しないことがよくわかりました。

戦いが終わったわけではありません。

今こそ

 ドントウォーリー!! イエス・ウィキャン !!ネバーギブアップ !!


一旦、休戦です。

少し イエス様と会話の時間を持ちたいと思っています。

イエス様が紅海を真っ二つに分けて イスラエル人を助けて下さった。

これが真実なんですね。 

かんちゃん 僕もぎっくり腰みたいです・・・・

全てを主に 委ねます                     PAUL OBAMA
Posted by Paul Obama at 2011年02月15日 17:55
新しいことをやる時はいろんな不安が次々と襲ってきます。

心配していたら、新しいことに踏み出せません。

先が見えない不安もありますし、今後の困難も予想されます。
リスクもあるけれども、最小限に抑えつつ、新しいことをやろうとしてしまいます。
おとなしく普通にしていれば、そんなリスクも不安も考えなくても良いと思います。しばしば、やめておけばもっと楽だったのにと思うことがあります。
信仰をもってチャレンジですが、もっと楽をして他の方法もあったのにと、思うこともよくあります。

絶対絶命の危機も、不安も信仰をもって進んでいけば乗り越えられる勇気をこの御言葉によって与えられます。

反面今回のMexicoのビジネスも無理をしなくてもよかったかなと、思う面もあります。
今振り返ると。やり方にもっと気をつけるべき面があったかなと思う面もあります。しかし、一方ではこうせざるを得ず、これが結局は最善だったかもしれないと、思う面もあります。
紅海を渡った後も、モーゼはさまざまな試練に立ち向かい進んだごとく、彼に従った人たちも不平不満をつぶやいたこともしばしばで、私の心にも自問自答があります。そのような中でも神様のごお導きと御加護をいつも祈りもとめていければと思っています。

ところで、昨日の当地のアングリカン教会での礼拝では良い交わりができて、VIP Mexicoをぜひ始めようという積極的なNigeria人のビジネスマンで教会で礼拝の奉仕をしている熱心な兄弟はじめ、数人の兄弟とお話できました。次回の訪問ではもっと具体的な立ち上げの話ができればと考えています。信仰、宣教、仕事(ビジネス)、この三つがうまくかみ合って始められればと思っています。

主にあって感謝します
Posted by VIP MEXICO at 2011年02月21日 20:52
 
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