「母さん、死なないで!」

アブラハムささき

2012年01月24日 16:51


  < これはOさんの 「練炭自殺から復活した男」 の詳細版です >             


1.「父さん、生きててよかったね!」

キリスト教の洗礼を受けて早いもので、もうすぐ3年になります。

事業に失敗し、練炭自殺を図ってから4年になろうとしています。


24年前に個人事業をスタートして以来、私はずっと経営者でした。

サラリーマン時代は、東芝に在籍していた数年間にすぎません。

個人事業の当初の相棒は一攫千金型で、私はコツコツ型でしたので、数カ月で別れることになりました。


その後別の協力者を得て、一緒にパチンコ店向けの設備関係の下請け工事をやりました。

バブル時代が終わったころでしたが、パチンコ業界だけは不景気知らずで、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

パチンコ店の店長が、 

「パチンコ屋は儲かって儲かって仕方ないんです。 私も店長を辞めて経営者になりたい!」

と言っていました。

仕事はどんどん増え、工事のために二人で全国を回っていました。

人を増やそうと思い、知り合いの何人かに声をかけました。

不景気に入り始めた時期でしたので、二つ返事で人が増え、会社を設立しました。


その頃から出張続きで、家に帰るのは半年に一度のペースでした。

まだ結婚しても間もないのに、 「亭主元気で留守がいい」 になっていました。

全国展開になるとなおさら留守がちになりましたが、お金はちゃんと入れていましたので、

家内は文句も言わずに子育てに専念してくれました。

私は二人の息子たち (現在23歳、21歳) と一緒に遊んでやることもなく、

親父の存在感はほとんどありませんでした。

私だけ完全に家族から浮いていました。


そのうち北朝鮮問題やとばく性の問題で、

行政がだんだんパチンコ店を締め付けてくるようになりました。

パチンコ業界は大きな転換期を迎え、

ギャンブル性の高い人気の遊技台は使えなくなり、お客さんが一気に減りました。

パチンコ店の転売が始まり、大型パチンコチェーン店の倒産がありました。

銀行の貸し渋り、ファンドの撤退により、パチンコ店は自己資金で営業せざるを得なくなりました。

遊技台の購入費の支払いが精いっぱいで、設備投資するパチンコ企業は一気に減りました。


「パチンコ業界は必ず復活する!」

そう信じていた私は強気で頑張ってきましたが、

借り入れがどんどん増えて、会社を破産に追い込んでしまいました。

私の経営能力がなかったのが一番の原因です。


当時は海外を含めて四つの会社を経営していて、

従業員および従業関係者は300人を超えました。

そのため一つひとつの仕事の取り扱いが散漫になり、

何事も見切り発車でどんぶり勘定でやってきました。

いつも大金を懐に入れ、仕事をしながら遊びまわっていました。


それでも家内は私の夢を信じてくれて、

「父さんなら何とか危機を乗り越えてくれる!」

と期待していました。


巨額の負債を抱えてグループ会社が完全に行き詰まった時、

家内を心配させたくない一心で、保険金目当ての自殺を考えました。

負債総額は13億円で、私の個人保証額は7億円でした。

でも高額の事業者保険をかけていましたので、

自分が死ねば、かなりの保険金が入り社員も助かるし、家族も救われると思い、

静岡の山の中で、練炭自殺を図りました。


意識不明の私は発見者の通報により警察のヘリコプターで病院に運ばれ、

三日後に奇跡的に意識が回復したのです。

「まるで死後三日後に復活したイエスさまにそっくりだ!」

とよく言われます


幸か不幸か自殺は未遂に終わりましたが、

「父さん、生きててよかったね!」

と家内が言ってくれました。

こんなハチャメチャな私が生きていたことを喜んでくれたのです。

この事件の顛末については、

「父さん、生きててよかったね!」

というネットの証しに詳しく書きましたので、検索してお読みください。


今では誰もが吹き出すような笑い話になっていますが、当時は真剣そのものでした。

なにしろ大量の睡眠薬を飲んで車内に積んだ練炭に火をつけて、

血走った目で死に場所を探しながら車を走らせていたのですから。


自殺未遂の後、会社の債務を整理して、自分で志願してキリスト教の洗礼を受け、

「仮のクリスチャン」 になりました。

「仮のクリスチャン」、またの名、自称 「エセクリスチャン」 とは、

「聖書もろくに知らずに、イエスさまがどういうお方かもわからずに、

クリスチャンの仲間入りをしたくて、とりあえず洗礼だけ受けた者」

という意味です。


洗礼を受け、よい仲間が増えて、精神的にはすごく恵まれました。

「あなたはきっと、偉大な伝道者になる!」

と言われ、新約聖書の大伝道者 「パウロ」 というクリスチャンネームをいただきました。


それに気をよくして、一時は仕事そっちのけで、福音の伝道をしました。

駅前でも、空港でも、ホテルでも、キリスト教国の韓国でも、仕事の仲間たちにも、

あたりかまわず福音の文書を配りまくりました。

福音の意味もわからないままです。


不思議なことに、そんな私の伝道によって、洗礼を受ける人たちが大勢出てきました。

私の証しを読めばわかりますように、

実体は、 「パウロ」 ではなく、 「ピエロ」 なのですが。。。


しかし、現実の生活はというと、一向に仕事の目処が立たなく、

今度は個人の借金が増えて首が回らくなりました。

家内の強い要望で、子どもたちだけは大学を卒業させたい。

「収入が間もなく入るから、間もなく入金するから」

と言って家内を説得しながら、時が過ぎて行きました。

私の言葉を信じた家内は、手元に有るものはほとんど処分し、

しかもカードローンにまで手を出すようになりました。

今はセブンイレブンでバイトをしていますが、気休めの報酬しかもらえません。


クリスチャンになった私は、

「イエスさまを信じていれば、なんとかなる、きっとなんとかなる!」

と自分と家内に言い聞かせてきました。

ところがどういうわけか、借金は増える一方で収入の兆しがなかなか見えません。

クリスチャンの仲間たちが無理してお金の支援をしてくれましたが、焼け石に水でした。


あまりにも苦しくて、洗礼を受けたのに私は何度となく、お金の問題や人の問題で、

「あの時死んでいればよかったのに。 もう一度死にたい、なんとかして死のう」

と思いました。

私が死んでも、生命保険はすでに解約済みで、一円も入って来ません。

死ぬ意味もないし、人々に迷惑をかけるだけの負け犬になってしまいます。

でも私の自殺願望は日ごとに大きくなっていきました。

今から考えると、私の気の優しさ (弱さ) にサタン (悪魔) が付け込んで、

自己嫌悪から自殺へと追い込んでいたのです。


2.「母さん、死なないで!」

ある日実家に帰って家内と相談しました。

「死ぬ時は一緒に死のうね」 って。

そうしたら、自分の保険はまだ切れていないことに家内が気がついたのです。

「自分が死ねば父さんが助かる。 借金も返せる」

と家内は考えました。


あんまり 「死にたい、死にたい」 を私が連発していたので、家内をその気にさせてしまったのです。

言葉の力は恐ろしいものです。

今度は家内が、 「死にたい、死にたい」 と言い始めました。


一昨年8月に帰省した時に同じ話題になりました。

子どもたちも夏休みで家族がそろっていました。

当面のお金がどうにもならない話をしているうちに、

家内が 「もう死ぬ!」 って言い出したのです。

「じゃ僕も死のう」

売り言葉に買い言葉で、家の近くにある大きな橋から、海に飛び込むことにしました。


家族全員で死のうと、四人そろって一緒に橋に向かいました。

瀬戸内海にある上関島と山口県を結ぶ 「上関大橋」 という、長さ数百メートルの大きな橋です。

その橋は海から80メートルほどの高さにありました。


到着したとたん、橋の欄干幅10センチくらいのところに、家内が本当に欄干に上がったのです!

あわてて私も上がりました。

身長が150センチくらいしかない彼女にとっては、とても高いところだったに違いありません。

一緒に死ぬことしか頭にない私は、家内を助けようともせずに、

1メートルほど離れた位置に膝をガタガタ震えさせながら立ちました。


私は自殺未遂の経験はあります。

でもその時は死ぬのが怖くて、 「どうしたら楽に死ねるか」 を考えたのです。

インターネットで楽に死ねる自殺の方法を研究しました。

「日ごろ飲んでいた睡眠薬を少しずつためて約80錠にして、それを一気に飲んで、

寝ている間に練炭の一酸化炭素中毒で死ねば楽だろう」

こんな情けなくも勇気のない自殺計画を作ったのです。


家内は気丈な性格で恐れを知らないまっすぐな人間です。

私みたいな人間と結婚していなかったら、どれほど幸せな生活を送っていたのだろうか・・

と思い悩むこともあります。

息子は二人とも私に似て出来は悪いですが、正直者です。

兄貴は堅いばかり、弟はひょうきんで、内向性と外向性の正反対な性格の兄弟なんです。

それなのに、二人とも母さんが大好きで、今の年になっても一緒に遊びに行ったりしているようです。


その母親が橋の欄干に上って海に飛び降りようとしているのですから大変です。

それまでは一緒に死のうと言っていた子どもたちが、びっくりして大声で泣きながら、

「母さん、死なないでー!」

って、彼女の足にしがみつきました。

まさに、悲劇映画のクライマックスです。


あまりに大きな叫び声に、私は欄干から落っこちそうになりました。

子どもの必死の叫びに我に返った母親は、泣きながら欄干を降りて、子どもたちと3人でワーワー泣いていました。


その間、私は欄干の上で足を震えさせながら、

「落っこちたらどうしよう」

と自分の心配ばかりしていました。

結果的には落ちなくて良かった。

「生きてて良かった!」 ではなく、 

「落ちなくて良かった!」 と自分のことしか考えませんでした。


欄干から橋の上に降りた私は、子どもたちに聞きました。

「なんで父さんを止めてくれなかったのか!?」

二人とも返事もしてくれません。

子どもたちの父親に対する愛の欠如を強く感じた瞬間でした。

「くそっ! いっそ欄干から落ちて死んでいれば良かった・・」

と思いました。

今度は、喜劇映画のクライマックスです。


でも、自分がやりたいようにやってきて事業に失敗したわけですから仕方ありません。

仕事にかまけて子どもたちの世話はほとんどしてこなかった付けが回ってきただけです。

それにしても、私が原因で家内を死ぬ気に追い込んでしまって、大変すまないと思っています。

最後の瞬間に神さまが介入してくださって、家族全員が飛び降り自殺を免れたことを、心から感謝しています。


「母さん、生きててくれてありがとう!」

心からこう言いたい気持ちでいっぱいです。

母さんの飛び込みを阻止してくれた子どもたちにも感謝します。

また、私たちが自殺しないように真剣に祈ってくれたクリスチャンの仲間たちのお陰でもあります。

「イエスさまを信じていれば、なんとかなる!」 と言っていたことが本当になりました。


3.「すべてはうまくいっている!」

家庭では私の存在は無に等しいと知った時、

なんとかしてビジネスを成功させて、家内と子どもたちに自分の存在価値を知ってもらいたと思いました。

「父さん、よくやったね!」 とほめてもらいたいです。

これが次に書く私の証しの題名です。


実は、当面の資金繰りが厳しいだけだったのです。

近い将来にはやりきれないほどの大きなビジネスをたくさん抱えています。

目先の問題に縛られて、将来の希望が完全に目隠しされていました。

私に神への信頼と試練に耐える力が不足していただけなのです。

今ではビジネスブレイクに自信満々です。

必ず、 「父さん、よくやったね!」 の証しを書いて見せます。

そして家族全員に洗礼を受けてもらいます。


洗礼を受けてからいろいろありました。

「洗礼を受けたら、神さまの恵みで、とんとん拍子にすべてがうまくいく!」

そう期待したのは間違いでした。

むしろその逆で、なかなか自分の思い通りにはいきませんが、

自分の思いにはるかにまさる神さまの大きな愛の意志と計画が

実現しているというのが真実です。

こうして結局は、 「すべてがうまくいっている」 のです。


サタンは私を何度も死に追いやろうとしましたが失敗しました。

イエスさまが私と家族を守ってくださったからです。


「死にたい、死にたい」 

と口癖のように言っていたのに、私の友人たちが次から次に洗礼を受けているのです。

「洗礼受けて人生が変わった、物事の考え方が変わった、本当によかった。

オバマさんありがとう。 今度は友人を連れてくるから洗礼を授けてください。 

オバマさんよろしく!」

って、みんなから言われています。

彼らのビジネスも見る見る好転しています。

一昨年8月に洗礼を受けた友人が、二人の仲間を四国から洗礼のために連れてくると言っています。

彼はもう三人の洗礼志願者を持っています。 不思議ですがそれが現実なのです。


何よりもうれしいのは、

「私は絶対にクリスチャンにはならないからね!」

と頑強に言い張ってきた家内が、

私が韓国から買ってきた十字架のネックレスとブレスレットを身につけてくれていることです。

私の思いとは裏腹に、神の思いが実現しています。


本物のクリスチャンではない、もしかしたら 「エセクリスチャン」。

エセクリスチャンでないにしても、私はいまだに霊的に成長していない、 

「赤ちゃんクリスチャン」 です。

それが次から次にクリスチャンの赤ちゃんを産んでいるのです。

「赤ちゃんが赤ちゃんを産む!」

そんなこともあるんですね。

イエスさまが処女マリアから誕生したことを考えると不思議な話ではないのですが・・・


これからは自分の力でがんばるのをやめて、イエスさまにすべてをお任せしていきます。

小さな利己的な自分の思いではなく、

もっともっとすばらしく大きな神さまの愛のご意志とご計画が実現するように、

イエスさまとともに自然体で生きていきたいと思います。
                    

 (その後、またまた神さまの大々どんでん返しがありましたが、それは次回に証しします )