竹脇無我さんの壮絶なる生涯

アブラハムささき

2011年09月03日 13:42


  ・・  「神はそのひとり子を賜ったほどに、

       この世を愛してくださった。

       それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、

       永遠の命を得るためである」

       (ヨハネによる福音書 3:16)


< 知人の俳優・竹脇無我さんが8月21日急逝しました。 死因は小脳出血、享年67歳でした >          


「俺が求めていたものは、まさにこれだ! 

おい、悪いけどこれもらっていくよ!」


10年以上前のことです。

福音伝道の目的で、大阪にいる小学校の同級生のH氏宅に

新約聖書と私の書いた文書などをまとめて郵送しました。

H氏は後で読もうと思って自分の机の上に置いておいたのですが、

彼の家に泊まっていた竹脇無我さんがそれを見つけ、

むさぼるように読んで、東京に持ち帰ってしまったそうです。
 

無我さんは当時、うつ病との壮絶な闘いの中にありました。

ホテルに一人で泊まるとすぐに死にたくなるので、

大阪で公演する時はいつもH氏宅に泊めてもらっていたのです。
 

「そのころ、僕の頭の中は 『死にたい衝動』 で埋め尽くされていた。

ビールを飲んでいても、道を歩いていても、人と話していても、

何をやっていても、とにかく死にたい。

『お前は生きてちゃいけない』、と何かが絶えず僕を呼ぶ」

「ふさぎ込んで酒浸りの日々を送るうちに、

顔にとげのある竜に似た 『怪物』 が私の頭の中に入ってきて、

毎朝起きると襲ってくるようになったんです」

< 「凄絶な生還、うつ病になってよかった」 > (マキノ出版 )に、

無我さんはこう書いています。
 

青山学院高等部在学中に映画デビュー。

以来、映画、テレビ、舞台で、人気俳優として華々しい活躍を続けてきた無我さんは、

ある時からうつ病にかかり、8年間の地獄の日々を体験することになりました。

「自分のうつはもう治らないのではないか、役立たずで人の重荷になるだけのダメ人間だ」

そんな思いが高じると、強度の自殺衝動に駆られていきます。
 

「死ぬ勇気なんかない方がいい。

どんなにつらくても、みっともなくても、生きていさえすれば、うつ病は治る。

そして違う世界を見ることができる」

テレビや週刊誌で無我さんは、

「絶対に死んではいけない。 とにかく生き抜くんだ!」

と繰り返し語っていました。


クリスチャンの兄・竹脇義果 (よしみ) さんは、

弟・無我さんの霊の救いと心のいやしのために毎日祈っていました。

本人が意識していなくても、無我さんを本当にいやしてくださった方は、

すべての病のいやし主、イエス・キリストなのです。

ですから、私が知人に送った聖書や福音文書を見つけ、むさぼるように読んだのでしょう。
 

「うつ病が治れば、前よりもっと元気になる。

違う世界が見えて世界が広がる。

自分のやりたい役のイメージがはっきりしてきて、それを目指していこうという気になれた」

人々の目を意識して無理に背伸びをしてきた無我さんは、

「あるがままの 『等身大』 の自分」 で生きられるようになりました。

「うつ病になって本当によかった」 と喜んでいました。


元気になった無我さんと何度かお会いして、大阪の新地や東京の赤坂の無我さんの行きつけのバーで、

キリストの福音について長い時間語り合いました。

でも無我さんは、 「キリストを信じたいのだが、どうしても信じ切れない」 

というジレンマに悩んでいました。 

その後、私が製作に部分的に関係したクリスチャンの映画 「ふうけもん」 に

主人公の兄貴役で出演してもらったこともありました。

無我さんがキリストに出会うようにと、私は仲間たちとずっと祈ってきました。 


無我さんの遺言により、

葬儀は世田谷の日本キリスト教団・東京都民教会 

において行われたとの記事を読んで、

「無我さんはついにイエス・キリストを信じたんだなぁ」 

「きっと天国に行ったんだ」 と思いました。 

亡くなる前はキリスト教の学びに没頭していたそうです。 


この7月には左右両眼の白内障の手術に成功し、

「さあ、これから顔のシミを取り除いて、新しく出発しよう!」

とH氏に話していた矢先だったそうです。


無我さんのすぐ上の兄、竹脇真理 (まこと) さんは、

麻布高校時代にクリスチャンになりました。

イエスを信じて永遠の命を得た真理さんは、

麻布高校でトップクラスの成績であったにもかかわらず、

目標としていた東大進学の夢を自ら捨てて、

「高校卒業後はキリスト教の宣教師になって貧しい国で福音を伝えるんだ!」

と福音宣教の大きなビジョンと熱い情熱に燃えていました。


ところが、真理さんは突然脳腫瘍を患い、天国に召されて行きました。

18歳で逝った若き信仰者・竹脇真理さんの日記をまとめた

「勇ましく高尚な生涯」 

(いのちのことば社刊、後に小学館刊) という本は、ベストセラーになりました。

真理さんの純粋で真摯な思いが伝わってきて、涙なくしては読めない本です。
 

真理さんは、弟の無我さんをとても可愛がり、よく面倒を見ていました。 

なんとかして無我さんがキリストを信じて欲しいと、熱心に福音を伝えました。

真理さんの導きで、無我さんは、イエスを信じる告白をしました。 

青山学院で学んでいましたから、毎日の礼拝を通しても福音に触れていたのでしょう。 

でも、最も信頼していた真理さんの急逝に非常なショックを受けて、 

「なぜあの熱心なクリスチャンで宣教に燃えていた真面目な兄が死んでしまったのか?」

と、神に失望して信仰を失ってしまったのではないかと思います。


それからの無我さんは、

俳優の道に入り、一直線にトップスターの栄光に輝きましたが、その生涯には、

父の昌作氏の自殺、長兄の義果氏の半失明、次兄の真理氏の夭折、

何人かの女性との不倫の騒動、10年にわたる別居生活、離婚の悲劇、8年にわたるうつ病の苦悩、

芸能界から転落した失意とそれに伴う経済的困難、うさを紛らわすためのアル中のさまよい、、、、

があり、実に壮絶な道程を歩むことになりました。


けれども、壮絶などん底の中で無我さんがいつも追い求めていたのは、

敬愛する兄・真理さんが命を懸けて信じていた、

まことの救い主・イエス・キリストとの出会いだったのです。

どのような壮絶な生涯をも超越する力のある 「永遠の命」 だったのです。


この世に生きる最大の目的を達成した無我さんは、イエスに連れられて天国に凱旋して行きました。



参考  ・・・  竹脇無我さんの 「うつ病との壮絶な闘い」

          http://inori.livedoor.biz/archives/50531412.html

         竹脇真理さんの 「勇ましく高尚な生涯」 フリー脚本

          http://konoyubi-drama.net/drama/daihon/IsamashikuKoshonaShogai.pdf 

         竹脇義果さんの 「NHK教育テレビでの対談」 

          http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-30.htm