2012年05月13日

 「信仰」 → 「思考」 → 「実行」


難しい問題が起きると、普通は、

① あわてて、

まず思いついた解決策を 「実行」 してみる。

② いろいろ 「実行」 してもうまくいかないと、あせって、

どうしたらよいのかを考えて 「思考」 してみる。

③ いくら考えてやってみてもうまくいかない時に初めて、あきらめて、

神に祈って 「信仰」 によって解決しようとする。


でも、これは順序が逆なのである。


① 「思考」 に基づかない 「実行」 は、

問題に、対応しているのではなく、反応しているにすぎない。

「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」 式、 

「犬も歩けば、棒に当たる」式で、

ほとんどの場合、問題を正しく解決できない。

宝くじを買うように、 「まぐれ当たり」 を期待するからである。
 

② 「信仰」 に基づかない 「思考」 は、

かえって問題をこじらせてしまうことが多い。

人間の狭い 「思考」 は、

時空をこえた大局的、総合的な是非の価値判断ができないからである。

「思考」 だけに頼って問題を解決しようとすると、

「策士、策に溺れる」 で、往々にして

「忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」

のジレンマに陥ってしまう。

「すべて信仰によらないことは罪である」

(ローマ14章23節)

 
③ 「信仰」 は、全知全能の神を信じ、神の導きに従うことである。

聖書のことばを、普遍的な神のことば (ロゴス) として信じ、

問題の解決のために具体的に示される神のことば (レーマ) に従うことである。

宇宙万物の創造主、父なる神の大局的、総合的価値判断は、絶対に正しいからである。


「ラザロが重篤であることを知りながら、

なぜ早く来て癒してくださらなかったのですか?」

マルタはイエスに不満を言った。

イエスはマルタに答えて言われた。

「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」

(ヨハネ11章40節)


① ラザロが重篤だという知らせを受けた時、

イエスはまず、

「生きているラザロを癒すのではなく、

死んだ後に彼を生き返らせることが

神の導きである」

と信じた。

② 次に、死んだ後にラザロを生き返らせる

タイミングと手段と場所を考えた。

③ 最後に、死んで葬られて4日経ったラザロの墓の前に立って、

「ラザロよ、出てこい!」

と、人々の見守る中で、大声で叫ばれた。

なんと、ラザロは生き返って、死体を巻く亜麻布を着けたまま、墓から出てきた!

こうして人々は神の栄光を見た。


「思考」 の役目は、

「信仰」 によって得られた神の導きを 

「実行」 するための方法を考えることである。

神は絶対的に正しいお方であるから、

神のみこころがなるならば、

忠がならなくても、孝がならなくてもよい。

いや、神のみこころがなることこそが、

真の意味で、忠もなり、孝もなるのである。

 

問題の正しい解決のプロセスは、

① まず 「信仰」 によって神から正しい導きをいただいて、

② 次に 「思考」 によってそれを実現する方法を考え、

③ 最後に勇気を持ってそれを 「実行」 することである。

本当は、 「信仰」 も 「思考」 も 「実行」 も、

それぞれに神の助けが必要なのである。


「信仰」 → 「思考」 → 「実行」 

のプロセスを正しく踏むようにすると、

神による問題のすばらしい解決を見ることができる。


「心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな」

(箴言3章5節)


                       

  

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2012年05月10日

 「ビジョンを実現する力」


  ・・  「あなたがたのうちに働きかけて、

       その願いを起こさせ、

       かつ実現に至らせるのは神であって、

       それは神のよしとされるところだからである」

       (ピリピ4:13)


1. ビジョンを持とう  (Be ambitious!)

札幌農学校の校長クラーク博士は、

“Boys!  Be ambitious!"

(青年よ! 大志を抱け!)

という言葉を残して日本去りました。


このことばは、

同校の学生であった内村鑑三や新渡戸稲造たちの心を鼓舞したばかりでなく、

明治、大正、昭和を通じて、日本の青少年への大きな励ましのことばとなってきました。

それは、日本人の精神的成長と日本民族の発展の力となってきました。


ところが、平成に入り21世紀が幕明けして以来、このことばは急速にすたれつつあります。

それは、日本人の精神的堕落と日本民族の凋落の原因となっています。


そこで今日は、 “Christians!  Be ambitious!"  (クリスチャンよ! 大志を抱け!)

と声を大にして叫びたいと思います。

なぜなら、クリスチャンは、万物の創造主、全能の神を信じる者であり、

聖書のことばを真理であると信じる者であるからです。


聖書のことばを通して、神はなんと言っているでしょうか?

旧約聖書の箴言29:18には、

“Where there is no vision,  the people perish."

と書かれています。

日本語に訳せば、

「幻のない民は滅びる」

「ビジョンを失った人は滅びる」


今の日本民族には、幻がありません。

聖書のことばによれば、

このまま幻を持たずにいけば、

日本の政治、経済、社会は崩壊し、

日本民族は滅亡する運命にあります。


今の日本人個人には、ビジョンがありません。

このままビジョンを持たずにいけば、

日本人は精神的に頽廃し弱り果てていきます。

今や多くの日本人が自殺してますが、

自殺の原因は言うまでもなく、

「ビジョンの喪失」

にあります。

人生の希望、生きる目的を、見失ってしまったから、

自ら命を絶つのです。


この箴言29:18を逆にすれば、

“Where there is vision,  the people prosper."

「幻のある民は栄える」

になります。
 
「ビジョンを持つ人は、 多いに成功し、 大いに繁栄する」

ということです。


2. 大きなビジョン (石油の油田)

石油を採掘するためには井戸を掘るように、

地中に深く穴を掘っていかなくてはなりません。

これをボーリングといいますが、

ボーリングをつづけていって石油の油田に突き当たると、

油が吹き出してくるのです。

そして油田の埋蔵量の分だけ石油を採取することができます。


しかし、石油のボーリングにはリスクがあります。

掘っている地下に本当に大きな油田があるかどうかの確認ができにくいことです。

ですから、ある程度までボーリングをして石油が出てこなければ、

あきらめて別の鉱区でボーリングをすることになります。

この費用は莫大なものです。


ある青年が将来の石油王を夢見て、

有望な鉱区でボーリングを試みました。

私財をつぎ込んで、どこまで掘っても、なかなか油田に突き当たりません。

ついに彼はあきらめて転職してしまいました。


ところが、後からきた別の人が、

同じ井戸をさらにボーリングしつづけたところ、

膨大な油田に到達したのです。

この人は自分の会社を上場して、

一躍、石油の大会社を経営することになりました。


あきらめて転職した青年はこれを知って、

「一度志したビジョンは、

それを実現するまでは

絶対にあきらめないで努力するぞ!」

と固く決心しました。


彼は政治家を志し、ついにアメリカの大統領になりました。

その名は、ハリー・トルーマンです。

第二次世界大戦の終結と終戦処理をし、強力な反共政策を打ち出した大統領です。


4. 3つのV

旧約聖書のヨエル書2:28には、こう書かれています。

「その後わたしは、わが霊をすべての肉なるものに注ぐ。

あなた方の息子、娘は預言をし、あなた方の老人たちは夢を見、

あなた方の若者たちは幻を見る」


神はその子供たちに聖霊を注いで、預言をさせ、

夢を見させ、幻を見させて、導いておられます。

天地万物を創造し、これを完璧に支配しておられる神は、

一個の遺伝子にも人知をはるかに超える、偉大な能力を授けておられます。


神は完全・無欠なる秩序の神であって、

混沌とした無秩序の神ではありません。

神は私たちのために計画をもっておられます。

それは災いを与える計画ではなく、

平安と将来と希望を与える計画です。

(エレミヤ29:11)


① 神はまず、私たちに聖霊を注いで、

  神の幻 (ビジョン / Vision) 

  を見させてくださいます。

② 次に、ビジョンを達成するための、

  方法と力と備えを与えてくださいます。

  これが神の仕事 (ベンチャー / Venture) です。

  そして、私たちが主を信頼して勇気をもって一歩を踏み出すと、

  神のベンチャーが動き出します。

③ その結果として、ビジョンの達成、

  すなわち神の勝利 (ビクトリイ / Victory)

  を体験させていただくのです。


「Vision」 - 「Venture」 - 「Victory」 

この 「3つのV」 こそが、

神が御業をなされる公式です。


日本の未来は、日本民族が大きな幻を持つか否かにかかっています。

日本人の個人の未来は、各自が明確なビジョンを持つか否かにかかっています。




  ・・  「あなたのなすべき事を主にゆだねよ。

       そうすれば、あなたの計るところは必ず成る」

       (箴言16:3)


  ・・  「あなたの道を主にゆだねよ。

       主に信頼せよ。

       主が成し遂げてくださる」

       (詩篇 37:5)





  

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2012年05月06日

 「百倍もうかる秘訣」


< 先物取引は危ない >

「ササキさん、やはり私が言った通りです! 

トウモロコシの相場が、ぐんぐん上がり始めました! 

干ばつで大不作の中国が突然買い始めたんです。

今が買い時です!

絶対に一か月以内に2倍になりますよ!」

ある時、若い証券マンが興奮して電話をかけてきました。


「私は尊敬するササキさんに、ぜひもうけてほしいんです。

もうけを有効に活用してほしいんです。

そうして私も社会の役に立ちたいんです。

私をぜひ男にしてください!」

電話口で絶叫しています。
 

実はその数日前に彼から、

「トウモロコシの先物取引は非常に有望です。

ぜひ一度私の話を聞いてください!」

と、電話で売り込みがあったのです。

『申し訳ありませんが、私は投資や投機の話には、一切興味がありませんので。。』

と、このような勧誘には必ずその場で断ることにしています。

最もリスクの高い先物取引相場に手を出すことなど、考えたこともありません。

通常の投資は、失敗してもその全額を損するだけですが、

先物取引相場の場合は、投資額の何倍もの損をすることがあるのです。
 

この時もはっきりそう言って断ったのですが、

最近はそれくらいのことでは、引き下がってくれません。

「わかりました。 でも、これも何かのご縁と思います。

私はまだ駆け出しの社会人ですので、人生の大先輩であるササキさんから、

自分の生き方について何かご教示を頂きたいと思います。

こんなつまらない者ですが、どうか一度会ってやっていただけませんでしょうか?」

と来ました。


そう言われると、むげに断るわけにもいきません。

逆に、 「これは福音を伝えるチャンスだ!」 と思い、会うことにしました。
 
翌日、その証券マンと面会して福音を語り、聖書を読むように勧めました。

彼は私の話を神妙に聞き終わると、

「5分間で結構ですから、自己紹介のつもりで私の仕事の内容について、ご説明させてください!」

と切り出しました。

そして30分間も、トウモロコシの先物取引相場がいかにもうかるかについて、

延々と聞かされてしまいました。
 

「さすがだ、プロはすごいなあ!」 と思います。

会社の売り込みマニュアル通りに、あの手この手で攻めてきます。

2度目の電話の時も、証券マンはなかなか引き下がらず、

「ぜひ買ってください!」

『いや、絶対買いません』

「一回だけでいいですから、試しに買ってみてください」

『お断りします!』

「そこを何とかお願いします!」

こんな押し問答を20分もやったのです。

結局買いませんでしたが、ちょっとでも油断すると、

強引な売り込みに負けてしまいそうな気がしました。
 

金や石油などの先物取引相場で大きな損失を被った方々から、よく法律の相談を受けます。

中には、担保にした家屋敷を取られたり、自己破産に追い込まれたりした方もいます。

先物取引相場に手を出すと、初めに少しもうかることがよくあります。

証券業者はそれを見込んで売り込むわけです。

それで有頂天になってしまい、

親戚や金融業者から借金までしてどんどんお金をつぎ込んでいくうちに、

最後は取り返しのつかないほど大損してしまう、

というケースがほとんどです。


 < 百倍もうかる秘訣 >

初めから絶対買わないと固く決心していましたから、

しつこい証券マンもなんとか撃退することができました。

「こんなにもうかるいい話があるのに、ササキさんはどうして乗らないんですか?」

後でその証券マンに聞かれました。

『あなたがそれほど勧めるのですから、きっともうかるのでしょう。

でも、大きな危険を冒しても、もうけはせいぜい2倍です。

しかし聖書によれば、神を信じる者のもうけは最低でも30倍です。

普通でも60倍、うまくいけば百倍もうかるのです。

しかも、永遠のいのちまで頂けるのです。

だから、たった2倍のもうけ話には、おいそれと乗れないのです』

と答えました。

彼はポカンとして聞いていました。

イエスを信じてみなければ、この意味を理解することはできないでしょう。


信仰の父アブラハムは、心から神を信じていたため、非常に大きな祝福を受けました。

彼の息子イサクは、一年に百倍の収穫を得て、非常に裕福になりました。

イサクは 「アブラハムの祝福」 を受け継いだのです。

聖書には、イエスを信じる者は 「アブラハムの祝福」 を受け継ぐ、と書かれています。
 
「道ばたや岩地やいばらの中に蒔かれた種は実を結ばないが、

良い地に蒔かれた種は、百倍、60倍、あるいは30倍の実を結ぶ」

と書かれているのです。

種とは、 「聖書のことば」 です。

良い地とは、 「聖書のことばを聞いて悟る人」 です。

聖書のことばを聞いて悟る人とは、

「ふうん、なるほどね」 と頭だけで理解する人ではありません。

「本当にそうです!」 と、心から信じて納得する人です。
 

聖書の 「百倍もうかる秘訣」 は、

ノーリスクです。

ただ、信じて行動するだけでいいのです。


「神に祈って、百円の宝くじを買ったら、1万円当たった!」

ということもあるでしょう。


でも、 「百倍もうかる」 という真の意味は、

心が 「百倍豊かになる」 ということです。

必ずしもお金が百倍もうからなくてもいいのです。



これまで 「一」 の価値しかないと思っていたことが、

実は、 「百」 の価値があることに気づくようになることです。

聖書のことばを心底信じるならば、神のすばらしさ、神の創造された被造物のすばらしさ、

特に、神にそっくりに造られている人間のすばらしさに目覚めてきます。

人生の本当のすばらしさに目覚めてくれば、証券マンの強引な勧誘に引っかからずにすみます。


こうして、あなたは、これまでよりも百倍豊かな人生を、楽しむことがでるのです。

  

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2012年05月04日

 「太陽はいつも輝いている」


< 太陽を遮るもの >

「ああ、いい天気だなあ!」

ほおをなでるそよ風を楽しみながら、芝生に寝そべっていたら、

にわか雨が降ってきて、びしょぬれになったことはありませんか?

暖かい日に家族で外出したら、途中から寒くなり

子供が風邪を引いてしまったことはありませんか?

台風が来て、大切な旅行の計画が狂ったり、

夜になると不安で、眠れなくなってしまったことはありませんか?
 

もし、太陽が突然消えてなくなってしまったら、どうなるでしょう?

暗闇と極寒に襲われて地上のすべての生命は死滅し、

軌道を失った地球は、無限の宇宙を永遠にさ迷い続けることでしょう。

このように、太陽の存在価値は計り知ることができません。
 

ありがたいことに、太陽はいつも輝いています。

雨雲の上に、寒冷前線の上に、台風の上に、

そして闇夜の裏側に、太陽はいつも輝いているのです。


でも、たとえ一時でも太陽が遮られると、

私たちは動揺し、不安になり、気持ちが落ち込んでいきます。

陽が当たらない状況に右往左往し、太陽を求めてもがきます。

そして、輝く太陽に再び照らされると、

心が安らいでうれしくなり、元気を取り戻していきます。

何かに遮られるたびに、太陽のありがたさが身に染みるのです。


< 大型経済犯罪に連座して >

「もうだめだ! と思いました。

ああ、これで一生を棒に振ってしまった。

クリスチャンとして大変申し訳ない、

という思いでいっぱいでした」
 

不況にあえいでいたある大企業が、

起死回生の新企画を打ち出し、

それが功を奏しつつありました。


ところが、その企画が違法であるという疑いが生じ、

Aさんを含む担当幹部数名が警察に呼び出され、

被疑者として取り調べを受けることになったのです。


事件は新聞の第一面で報道されるような大問題に発展し、

警察での尋問と取り調べは、連日10時間を超えるほど過酷なものでした。
 
有罪の証拠を固めて起訴に持っていくのが警察の仕事です。

被疑者が語った警察側に有利なことばを、つい大きく誇張したり、

ニュアンスを故意に曲げてあたかも犯罪行為を認めたかのような調書を作成し、

それに署名するよう要求することにもなりがちです。

最近は、検察官の偽造調書の問題が大きく問題にされました。


「こんなことは言っていません!」

「こういう意味で言ったのではありません!」

そう否定すると、

「おまえ、俺がうそを書いたというのか! 

ちゃんとこう言っているじゃないか!」

と、取り調べの際のメモを見せられたりします。

「おまえが言ったことは、要するにこういうことなんだよ! 

おまえがよくわかるように書いてやったんだ。

どうだ、この通りだろう!」

大声で怒鳴られることもあります。


すでに心身共に疲れ切っている被疑者は、もはや抵抗する力を失い、

「もしかしたらそうかもしれない。 

どうせ有罪になってしまうんだ、もうどうでもいいや」

こう捨て鉢になって署名してしまうこともあるのです。
 

「本当に苦しい時は、

祈ることもできないということを、

いやというほど体験しました」

当初は、神に助けを求めて真剣に祈っていたAさんは、

取り調べが厳しくなるにつれ、

疲労と恐れがどんどん募っていきました。

必死に聖書を読むのですが、

神のことばが頭を素通りするだけで、心に入ってきません。

うめき声は出ても、祈りにはなりません。

しかし、どんなに疲れていても、

供述調書だけは自分の語った本当のことだけを

書いてもらいました。

捜査が終わって、ついに長年勤務した会社に辞表を提出し、

裁判所から検察官の起訴状が届くのを待つばかりとなりました。
 

しかし驚いたことに、

担当幹部全員が起訴されたのに、

Aさんだけが不起訴処分になったのです。

「『いっそ死んでしまいたい!』

何度こう思ったかわかりません。

でも、自分は祈れませんでしたが、

私の無罪を信じてくれた妻が、

あきらめずに

ずっと祈ってくれていたのです」


人生最大の試練を乗り越えて神の栄光を見たAさんは、

喜びを抑えることができませんでした。

今では、外資系企業に採用され、張り切って働いています。

平穏無事に生活できることを心から感謝し、

これまで以上に神を愛し、家族を大切にするようになりました。


< 太陽として輝いているイエス >

あなたの上に、時として、

悩みの黒雲が、覆いかぶさってくることでしょう。

悲しみの涙の大雨が、降ってくることでしょう。

恐れや怒りの台風が、襲ってくることでしょう。

憂いと絶望の闇夜に、包まれることもあるでしょう。
 

でも、昨日も今日もいつまでも変わることなく、

あなたの心には、イエスが太陽として輝いています。

永遠の愛をもってあなたを熱愛し、

まばゆいばかりの栄光と希望で、

あなたを暖かく照らしているのです。


悩みも、悲しみも、恐れも、怒りも、憂いも、絶望も、

さまざまな問題が、

あなたとイエスとの間を遮っているために

一時的に生じたものにすぎません。


あなたは信仰によって問題を突き抜け、

イエスに近づいていくことができます。

あなたが近づけば近づくほど、

イエスの愛の暖かさが、

希望の輝きが、増し加わっていくのです。
 

どんな問題の上にも、

イエスが太陽として輝いていることを

信じ続けましょう。


難しい問題に遭遇してこそ、

あなたは真剣に、かつ必死に神を求め、

神を探し、神の門をたたくようになります。


こうして、あなたはあらゆる問題を超越して、

神の絶大なる恵みを、

豊かに体験できるようになるのです。

  

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2012年04月26日

 「被害者意識を捨て去ろう」


< 被害者意識の悪循環 >

私たちのほとんどは、

何らかの被害者意識を持っています。

物事が自分の思い通りにいかなかったり、

人間関係がうまくいかなくなったりすると、

必ず被害感情を持つようになります。


被害感情は、

世の中が悪いんだ、相手が悪いんだと、

自分を正当化しようとします。

そして、加害者である世の中や相手に対して、

仕返ししないと気が済みません。
 

ところが、仕返しをすると、

今度は仕返しされた世間や相手が、

仕返しした人に対して、被害者意識を持つようになります。

そして、仕返しした人は、

またいつやり返されるかと、恐れるようになるでしょう。
 
世間や相手に仕返しできないと、

弱い人をいじめたり、

おとなしい人に八つ当たりしたりして、

憂さを晴らすようになります。

そこでまた、新たな被害者意識が生み出されていきます。

これはまさに、 「被害者意識の悪循環」 ですね。
 

被害者意識のもう一つの重大な問題は、

世の中をのろい、相手を恨んでいる限り、

被害者本人の心が、解放されないということです。

絶えず否定的な思いで、生活しなければなりません。

その意味では、

被害者意識を持ち続けている本人が、

いちばんかわいそうなのです。
 

「ちょっと元気ないけど、体調でも悪いの?」

いつもは陽気で元気な友人と食事をした時に、

彼の様子がおかしいので、こう尋ねました。

「いやー、俺、最近うつなんだ。

何もやる気がしなくて仕事も放ったらかしさ。

毎晩酒を飲んでるんだけど、ぜんぜんうまくないよ」

「何かあったのかい?」

「実は浮気が家内にばれてしまって、

家庭内離婚状態なんだ。

家内が怒って、食事も作ってくれない。

この年になって、三食外食なんてわびしいもんだぜ」

「浮気のことは奥さんに謝ったのかい?」

「何度も謝ったが、絶対に赦してくれないんだ。

娘まで家内に味方して、白い眼で見るし、口も利いてくれないよ」

「そうか。それは大変だね……」

「何十年も面倒見てきてやったのに、

たった一回の浮気でこんな仕打ちはひどすぎる。

本気で離婚しようと思い始めたところだ」

赦せないという気持ちは互いに増幅し、

家庭を容易に崩壊させていきます。


< 自分のために加害者を赦そう >

それでは被害者意識を断ち切って、

慢性的な否定的思いから解放されるためには

どうしたらいいのでしょうか。


自分から被害者意識を捨て去ることです。

意識して加害者を赦す努力をしていくことです。

でも、加害者を赦すことはそう簡単ではありません。

口先では赦したと言っても、

心の底では赦すことができません。

加害者から被害を受けた上に、

さらに自分の被害者意識によって自分を傷つけ、

苦しめることは本当に愚かなことなのです。
 

でも、

「加害者のために加害者を赦す」 

のは難しいことであっても、

「自分のために加害者を赦す」 

という気持ちになると、

心から赦せるようになるのではないでしょうか。
 

「心と体のヒーリングセミナー」 

を主催したことがあります。

講師の先生がこう言いました。

「今日まであなたを傷つけたすべての人たちを、心から赦しましょう。

被害者意識を持ち続けている苦しみから、あなたの心を解放し、

あなたを自由にしてあげるためです。

今、あなたが思い出すことのできるすべての加害者の名前を具体的に挙げて、

大きく声に出して、その人たちを 『赦します!』 と、宣言してみましょう」
 
講師の導きに従って、参加者が

「私は○○さんを赦します!  

△△さんも赦します!」

と声に出して宣言し始めると、

何と、数百名の参加者のほぼ全員が、泣き出したのです。

会場の床に倒れて、号泣する人もたくさんいます。

驚くべき光景でした。


赦したつもりでいたけれど、

心から赦してはいなかった何人かの方を思い出して、

私も声に出して赦しを宣言しました。

みんなが被害者意識に深く傷つき、苦しんでいたのです。
 

すべての加害者を赦す宣言をした後、

気分がものすごく爽快になりました。

おそらく参加者全員が解放されたのだと思います。

その証拠に、体までいやされる人が続出しました。

「病は気から」 と言いますが、

心と体は微妙に深く関連しているのです。
 

加害者を自分のために赦すと、

自分の心がいやされて、

否定的な感情から解放されます。

そうすると、体調までよくなります。

気分も体調もよくなれば、

対人関係も改善されていきます。

こうしてさまざまな問題が解決していくのです。
 

聖書では、

「私に罪を犯した者を

何回まで赦したらいいのでしょうか? 

7回まででしょうか?」

という質問に対して、

イエスは、

「7回の70倍赦しなさい」

と言っています。


その意味は、

「490回まで赦しなさい」 

ということではなく、

「何度でも限りなく赦し続けなさい。

それは本当はあなたのためなのだよ」

ということです。
 

自分のために 

「被害者意識を捨て去る」 

ことが、

あなたの問題解決にとってどれほど大切であるかを、

いくら強調しても、しすぎることはありません。



  

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2012年04月18日

 「必 ず 成 し 遂 げ る 秘 訣 ・・ 集 中 力」

    
  ・・  「一事を必ず成さんと思はば、

      他の事の破るるをも傷むべからず、

      人の嘲りをも恥ずべからず。

      万事に換へずしては、

      一の大事成るべからず」


「徒然草」 を書いた吉田兼好は、こう言いました。


一つの事を必ず実現しようと思えば、

その事だけに集中して

全力を投入しなければなりません。


聖書によれば、

全能の神にそっくりに造られている人間には、

どんなことでも成し遂げることができる、

「無限の能力」 

が与えられています。

しかし、無限の能力を発揮するためには、

一つのことに集中しなければなりません。

言いかえれば、一つのことに全身全霊を集中するのです。


ちょうど、

「太陽の光をレンズで一点に集中させると、紙や木を燃やすことができる」

のと同じです。


一つのことに集中すると、

他の物事が疎かになってしまうのは当然の帰結です。

人々はそれを見て、非難したり嘲笑したりします。

人の非難や嘲笑を気にしていたら、何事も成し遂げることはできません。

ほとんどの人は、あれもこれもとバランスを取りながら、

そつなく物事を実現しようとします。

けれどもそれでは、本当に大切なことは成し遂げることができないのです。

なぜなら、力が分散して弱まってしまい、

本当に大切なことを実現する過程で生じる、

さまざまな障害や困難を克服することができないからです。


アメリカに成功者の記事を載せる 「サクセス・マガジン」 という雑誌があります。

オリソン・スウェット・マーデンという人が、

「サクセス・マガジン」 に過去百年間に掲載された

3万件に及ぶ成功データを丹念に調査して分析しました。


マーデンはそこから、

「成功の秘訣」

として、次の5つの基本的な条件を抽出したのです。


 ① 勇 気  (Courage)    ・・   新しいことをする力

 ② 忍耐力  (Persistence)   ・・  スタートしたことを継続する力

 ③ 勤 勉  (Diligence)    ・・  一生懸命努力する力

 ④ 集中力  (Concentration)  ・・  エネルギーを一点に絞り込む力

 ⑤ 自 信  (Confidence)   ・・  自分の成功を固く信じる力


それでは、この5つの成功の条件のうちで一番大切な条件は、なんでしょうか?


バルセロナ・オリンピックで、出場選手たち全員に、

「あなたが競技で優勝するためには、どの条件が一番重要だと思いますか?」

というアンケート調査をしました。

なんと、圧倒的に多数のオリンピック選手が、

一番重要な条件として、

「集中力」 

にマークしたのです。

他のどんな条件よりも、

「集中力」

が目標実現のために大切なのです。

言いかえれば、他のどんな条件が満たされても、

「集中力」 

がなければ、優勝は難しいのです。


キリスト教が、世界20億人の信者を擁するようになった、

最大の功績は、パウロによる福音の宣教にあります。

パウロはすべてを犠牲にしても、

彼の全身全霊を、

「イエス・キリスト」

に集中して、

福音宣教の一事に生きたのです。


  ・・  「私は、・・・ただ、この一事に励んでいます。

      すなわち、うしろのものを忘れ、

      ひたむきに前のものに向かって進み、

      キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、

      目標を目ざして一心に走っているのです」
 
      (ピリピ人への手紙3:13-15)


  ・・  「信仰の創始者であり、

       完成者であるイエスから

       目を離さないでいなさい」

      (ヘブル人への手紙12:2)


  ・・  イエスは言われた。

      「信仰が薄いからだ。

       はっきり言っておく。

       もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、

       この山に向かって、

      『ここから、あそこに移れ』 

       と命じても、

       そのとおりになる。

       あなたがたにできないことは何もない」

      (マタイの福音書17:20)



 ・・  「ただ、この一事に励む」

      http://holyhope.seesaa.net/article/33473953.html   

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2012年04月13日

 「すでにかなえられと信じよう」

 
  ・・  「なんでも祈り求めることは、

      すでにかなえられたと信じなさい。

      そうすれば、そのとおりになるであろう」

       (マルコの福音書11:23)


1. 確信をもって

信仰は、時間と空間を超越しています。

信仰の原則は、

「心に疑わないで信じたとおりになる」

ということです。

(同11:22)


問題の解決を祈り求めていく時、

「祈りが聞かれた!」 

という揺るがない平安が与えられることがあります。

「神がすでに解決してくださった!」 

という確信を持つことができます。


そのような平安と確信を得たなら、

もはや問題の解決を祈り求める必要はありません。

神に祈りが聞かれたこと、

神の御手の中で問題はすでに解決されたこと

を喜んで感謝しつつ、神に期待していればよいのです。

やがて、神の時に神の方法によって、問題の解決が現実のものとなります。


子どもが、自分の父親にオモチャをねだって、

「わかった、わかった。 そんなに欲しいなら買ってあげるよ」

と言われたら、「わーい、パパは必ず買ってくれる!」 と信じて安心するはずです。

後は父親を信頼して、オモチャが現実に手に入る時を、楽しみにしていればよいのです。


「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。

あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、

よく知っています」

(ヨハネの福音書11:41,42)


イエスは目を天に向けてこう言われました。

そして、すでに聞かれたという確信をもって

「ラザロよ、出てきなさい!」

と大声で命じられると、

なんと、死んで4日も経つラザロが、生き返って、

白い布でまかれたまま墓から生きて出てきたのです!


人間の父親でも子どもの願いを聞いてくれるとすれば、

天地万物の創造主である全能の父なる神が、

神の子である私たちの願いを聞いてくださることほど、

確かなことはありません。


ただひとつの問題は、

「願いが聞き入れられた!」

という確信が持てるかどうかです。

この確信を持つためには、 「疑わないで、信仰をもって願い求める」 ことです。

「かなえられた」 と心から信じられるまで、神に祈りつづけることです。


「ただ疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。

疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。

そういう人は、

主から何かをいただけるもののように思うべきではない」

(ヤコブの手紙1:6) とあるとおりです。


2. 団体交渉事件

ある時、経営難に陥っている会社から、

バブル好景気中に社員を大量に採用しようとして作った特別優遇制度を変更するため、

就業規則改正案を作成して欲しいと依頼されました。

その会社の就業規則は、同業他社や業界全体と比較しても常識をはるかに越える優遇制度で、

公認会計士から 「早急に改正しなければ会社の倒産もありうる」 と警告されていたのです。


私が作成した改正案を会社に送ったところ、

それが最終決定としてそのまま社員に公表されてしまいました。

すぐに一部の社員から、 「とんでもない改悪だ!」 と、猛反対が起こり、

それが全社員に広がって、 「説明会を開け!」 となったのです。


私は担当部長とともに説明会に出席し、

改正しなければ会社倒産の危険もあること

を説明しました。


ところが、納得しない一部の社員が扇動し、

「改正絶対反対!  直ちに撤回せよ!」

という動きになってしまいました。


私は会社から社員との交渉を一任されましたが、交渉がこじれて労働争議に発展し、

これまでの円満な労使関係が険悪になってしまったら大変だという心配がありました。

そこで、紛争が円満に解決するようにと、何日も真剣に祈りました。

けれども事態はどんどん悪化し、誹謗中傷の怪文書が出回ったり、

私への個人攻撃も激しくなっていきました。


いよいよ団体交渉の前日になりました。

「大勢の社員の前で吊し上げられるのではないか」 という恐れが大きくなってきて、

「これではいけない」 と思い、夜遅くまで聖書を読みながら、真剣に祈りました。


突然、 「祈りが聞かれた!」 という確信が湧いてきました。

「主は伏兵を設け、

かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわされたので、

彼らは打ち破られた」

(第二歴代誌20:22)

の聖書のことばを読んでいた時でした。

このことばが、問題の解決に具体的にどのように結びつくのか、

また、社員たちにどのように説明し、説得したらよいのかもわかりませんでした。

しかし、 「神がすでに解決してくださった!」 という確信が与えられたのです。


当日は、平安を持って団交に臨むことができました。

厳しい表情で居並ぶ各部課の大勢の代表社員たちを前にして、

一瞬気持ちがひるみましたが、

その時ふと、まず全員の意見を聞いてみようと思いました。


「皆さん一人ひとりのご意見をお聞きしたいと思います」

と私が言い終わらないうちに、

改正反対のリーダーと思われる社員が立ち上がって、

大声でとうとうと反対演説をぶちました。

これにつられて次々に、改正撤回要求意見が出されました。

会場の雰囲気は、改正反対ムードでいっぱいです。

このままいけば、全員が改正反対意見を述べるのではないかと思われました。


ところがです。

半数ほどの社員が意見を述べたあたりから、風向きが変わり始めたのです。

ある社員が勇気をもって、

「私は改正に賛成だ!

改正しないで経営が悪化して他社との競争に負けて倒産すれば元も子もない。

目先の利益にとらわれず、将来を見越して会社と社員全体の利益を考えるべきだ!」

と発言しました。

次々に改正賛成意見が出され、反対派と大激論になったのです。

ついに、私が一言も意見を述べないうちに、 

「賛成派」 が 「反対派」 を説得してしまいました。

そのようなことになるとは、全く予想していませんでした。


その後、この会社は、一人も社員を退社させることなく、経営危機を脱し、順調に発展しています。


3. 神の最善の解決策

もしムードに押されて全社員が結束して反対していたら、

会社としては改正を撤回せざるを得なかったかも知れません。

逆に、交渉が決裂し、会社が撤回せずに改正を強行していれば、

大きな労働争議になったり、社員の労働意欲が落ちたりして、

倒産に至ったかも知れません。


「社員同士がお互いに議論し、話し合って結論が出される」

という最善の解決策を、神は持っておられました。

このように、 「すでにかなえられた! と信じるなら」、

神の最善の解決策を引き出すことができるのです。
 

   ・・・  「あなたの道を主にゆだねよ。

         主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、

         あなたの義を光のように明らかにし、

         あなたの正しいことを

         真昼のように明らかにされる」

         (詩篇37:5,6)

  

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2012年04月04日

 「だまされないためには」


 < 金塊のプレゼント >

「緊急のお願いがあります!

3日後にスイスのジュネーブで

約20億円分のインゴット (金塊の延べ棒) をもらって日本に持ち帰ります。

日本の法律で何か問題になることがあるでしょうか?

至急ご回答ください!」


あるキリスト教団体の役員の方から突然、メールによる問い合わせが入りました。

南アフリカ共和国の金鉱を所有していた資産家が数年前に亡くなり、

その遺産の中から、彼の団体にではなく彼個人に贈られるのだそうです。


私はこの種の事件を何件も手がけていましたので、すぐにぴんときました。

「これは99パーセント詐欺だと思います。

ジュネーブに行ったら、多額の手数料を取られる上にあなたの身の安全の保障もありませんよ。

そもそも20億円の金塊を一人で運んでこられるのでしょうか?」


南アからスイスへの金塊の輸送料、関税、スイスの銀行や保管会社の手数料・保管料等の名目で、

彼はすでに数千万円を相手方に送金していました。

それに加えて、現地における引き渡し手数料として500万円持ってくるように、と言われていたのです。
 

「いや、そんなはずはありません。

相手の方はかつて南アフリカの検事総長を歴任したほどの有名な弁護士です。

しかもクリスチャンです。

彼は亡くなった資産家の遺言執行人でしたが、魔がさして遺産を自分のために流用していたのです。

でも、神にその罪を示され、涙を流して悔い改め、私に連絡してきた、というのです」
 

「南アフリカの弁護士がどうしてあなたに連絡してきたのですか?」
 
「亡くなった資産家もキリスト信者で、

神の愛を実践しキリスト教の普及に貢献した人たちに遺産を分配するようにと、

その弁護士に委任したのです。

私は長年、アジア・アフリカの人たちと関係を持って福音のために働いてきましたが、

私どものホームページを見て私を選んでくれたそうです」


「それが本当なら、まさに神のすばらしい恵みですが、とにかく関係書類を見せてください」 

とお願いしました。

送られてきた相手方からのメール類、南ア政府の検事総長任命書、南ア弁護士会の資格証明書、

国際的一流銀行数行の発行した金塊の送り状、保管会社の保管証明書、関税支払済み証書等はすべて、

両国の官公署、銀行等のレターヘッドに担当者の署名入りで、しかも公用印鑑捺印済みのものです。
 

「これらは外見上は正式の公的文書のようですが、すべて巧妙に偽造されたものだと思います」

と回答した上で、相手方関係者全員の氏名をあらゆる角度からインターネットで詳細に検索してみました。

すると、そのうちの一人が国際的詐欺グループの主要メンバーとして浮かび上がったのです。

結局、彼らはキリスト教を敵視しているアフリカの宗教団体の詐欺グループの一つで、

世界中のクリスチャンを陥れるためにやっていることがわかりました。
 

「こんなことが本当にあるんでしょうか?

相手はメールに聖書のことばをたくさん引用していましたし、

私のために祝福の祈りさえもしてくれたんですよ」

危機一髪のところで身の安全が守られ、さらなる損害を免れた彼は、全く信じられないという様子でした。


 < だまされないためには > 

詐欺を働く人たちにはいくつかの共通した手口があります。

① まず第一に、あなた個人に大きな利益を与える、と偽って誘ってきます。

あなたの利己心に働きかけ、周りの人たちに対して秘密にさせるためです。

② 第二に、あなたを褒めそやし、自分が利益を受けるにふさわしいと思わせます。

③ 第三に、その利益を受け取るには何の費用もかからず、

あなたの振込先銀行預金口座を教えてくれるだけでよいなどと偽ります。

④ 第四に、実在の人たちや信頼のおける組織の名前を無断で使ったり、

犯行場所を移動したりして、あなたの注意をそらさせます。

⑤ 第五に、誘いに乗って応答してきたあなたに、

送金や輸送の手続きに多少の時間と費用がかかるといって、

少しずつ要求を出してきます。

⑥ 第六に、これらの要求に応じているうちにすでにマインド・コントロールされてしまっているあなたに、

次第に大きな要求を突き付けてきます。

⑦ そして最後には、あなたを身ぐるみはがして、どこかに逃げていってしまうのです。

だまされたと気が付いた時には、あなたには詐欺師を追いかける気力も資力も残っていません。
 

これは極端なケースですが、世の中には詐欺まがいの誘惑が蔓延しています。

あまりにも狡猾であるため、だまされない方が不思議なくらいです。


それでは、だまされないためにはどうしたらよいのでしょうか?
 
① まず第一に、あなたが今持っているものを感謝して、それで満足することです。

欲望には限りがありませんから。

② 第二に、あなたは自ら働いて正当に収入を得るべきです。

一攫千金を夢見ると必ずだまされます。

③ 第三に、「虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえずに、

天に宝をたくわえなさい」 (マタイ6章19~20節参照) 

と言われたイエスのことばに従うことです。

今、できるうちに、あなた個人の宝を神の国の働きと貧しい人たちのためにささげていけば、

天国銀行で三十倍、六十倍、百倍の利子が付き、増えていきます。


こうしてあなたの心は非常に豊かになり、

あなたの人生は真の意味でますます豊かに繁栄していくのです。




  

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2012年03月29日

 「問題を突き抜けよ!」


  ・・ 「主を待ち望む者は新たなる力を得、

      わしのように翼をはって、

      のぼることができる」

     (イザヤ書40章31節)


  ・・ 「もし神がわたしたちの味方であるなら、

      だれがわたしたちに敵し得ようか」

     (ローマ人への手紙8章31節)



 < 突き抜けよ! >

スイスの法律家・哲学者のカール・ヒルティの言葉です。

(「眠られぬ夜のために」 (7月1日) より)


さまざまな問題に対応していくうちに、

身動きがとれないような状態に陥ってしまいます。

暗闇の中に閉じこめられたように、

陰鬱な気分にとらわれてしまいます。


一度このような気分にとらわれると、

なかなか脱出することができません。

やることなすことすべてが、

悪い方へ悪い方へと向かって行くような気がします。

このような時は、問題を 「突き抜ける」 ことが必要です。



 < 超高層ビルの最上階で >

ある事件の解決に非常に手間取ったことがあります。

初めのうちは解決に向かって順調に進んでいたのですが、

途中から一転して難航していきました。

何をしても、裏目に出てしまうのです。


ささいな誤解が誤解を生んで、私自身が極悪人にされてしまい、

相手側から誹謗と中傷による激しい個人攻撃を受けるようになりました。

その事件のことがちょっとでも思い浮かぶと、

とたんに気持ちが真っ暗になります。

事件の解決のために何度も徹夜で祈りましたが、

なかなか気が晴れません。


このような状態がかなり長い間続きましたが、

ついに乗るかそるかの土壇場の事態が訪れました。

ホテルに泊まり込んで事件のために祈り、

解決策を検討しました。

それでも決定的な解決案と平安が得られません。


「これほど祈ってもだめか!」 

失望のうちにホテルをチェックアウトしました。

でも、 

「このままでは帰宅できない、なんとかこの陰鬱状態から解放されたい!」

と強く願いました。


その時です、 

「問題の泥沼に陥ったときは、意を決して 突き抜けよ!」

というヒルティのことばを想い出したのです。


そこでホテルの近くにある超高層ビルの最上階に昇ってみました。

「どうしても解決の突破口を見つけ、問題を突き抜けたい」 

と思いました。


最上階のコーヒーショップに入り、

睡眠不足の疲れた頭と重い心で、

濃いコーヒーを飲みながら

窓越しに外を眺めました。

かなたに地平線が見える広々とした景色です。


「天の父は、こんなにもすばらしい大自然を創られたのだ、わぁ、すごいなあ!」

子どものように、創造主の創造の偉大さに心から感動しました。

しばらく呆然としていると、次第に、

「天地万物を造られた全知全能の神に、解決できない問題などは一つもないはずだ!」

という確信がよみがえってきました。

気持ちがどんどん大きくなってきて、

事件にこだわって小さく凝り固まっていた心が

ほぐれてきました。


何気なく聖書を開くと、

イザヤ書41章11節のことばが目に飛び込んできました。
 

「見よ、あなたにむかって怒る者はみな、

恥じて、あわてふためき、

あなたと争う者は滅びて無に帰する」


これは強烈なことばです。

聖書のことばによって、天の父は私に語りかけて励ましてくださったのです。


この聖書のことばによって、ついに私は問題の黒雲の中から突き抜けました。

具体的な解決策は思いつきませんでしたが、

「全能の父なる神が、必ず解決してくださる!」

という揺るがない平安を持つことができました。


その時から、情勢が逆転し始めました。

今度は私を攻撃してきた人たちのやることなすことが、

ことごとく裏目、裏目に出るのです。


「私はもうこの問題を突き抜けたのだ!」 

という確信がありましたので、

自己弁護もせず、いっさい手を出しませんでした。


そのうち相手側に仲間同士の争いが生じて、

攻撃の矛先が私から自分たちに向いて行きました。

最後には、事件そのものが奇跡的に解決してしまいました。

私に対する誤解も解け、

相手方の関係者一同が私に謝ってきたのです。


 < 鷲のように昇る >

飛行機が厚い雲の中に入ると、

気圧の変化で上昇下降を繰り返します。

乗客は墜落したらどうしようとハラハラします。


このような場合は、

一挙に高度を上げ、厚い雲の層を突き抜けて、

成層圏に入るのです。

そうするとあっという間に機体は安定します。


そこには何一つ遮るものがなく、

太陽が明るく輝いているのを見て安心します。


飛行機は雲の大群をはるか下に見て、悠々と飛行し、

時が来れば、雲の群は消え去ってしまうのです。


熱心に祈り、聖書のことばを信じることによって、

聖霊の力強い臨在と内住を体験することができます。

すると私たちの霊に新しい力が与えられ、

鷲のように大空に昇っていくことができます。

やがてこの世のいっさいの心配、思い煩い、恐れを突き抜け、

完全に解放された天的領域に達します。


そこには太陽のように輝く神がおられることを、

信仰の目で見ることができ、

たちまち神の平安と愛につつまれます。


そうすると、

天上から地上の現実の問題を見下ろすことができるようになるのです。


それまでは、問題が私たちを押し潰そうとしていましたが、

今や、私たちが問題を押し潰すことができるようになります。


その秘訣は、

問題の中で右往左往することをやめて、

神を見上げ、神を待ち望むことです。

天を見上げ、天に心を向けることです。


そうすれば、

神が御翼の上に私たちを乗せ、

暗雲を突き抜けて、

大空に昇っていってくださることを

体験することができます。


こうして、現実に問題を突き抜けることができるのです。


   ・・  < 突き抜けよ! > と導く神の愛

       http://blogs.yahoo.co.jp/cforum2000/45333693.html


   ・・  今を突き抜けよ!:  メメント ド ミニ

       http://yukochappy.seesaa.net/article/120572937.html 



  

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2012年03月24日

 「驚くべき神の創造① 人体の驚異の構造」


  ・・ 「神は人をご自身のかたちとして創造された。

      神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」

      (創世記1:27)
          

宇宙万物を6日間で創造した全知全能の創造主は、

6日目の最後に人間を創しました。

人間を快適に住まわせるための最高の環境 (宇宙・地球) を造ってから、

神は人間を創造したのです。


神ご自身にそっくりに造った人間を見て、

「本当にすばらしい!」 と感動して、満足しました。

ですから、人間は、他のすべての被造物に優って造られた、

「神の最高傑作」なのです。

それゆえに、驚くべき神の創造によって造られた人間の体は、

実に驚異的な構造と機能を持っています。


今回は、人体の驚異の構造のほんの一部を紹介します。

いつか、人体の驚異の機能の一部を紹介します。

実は、人体は宇宙万物をはるかにしのぐ構造と機能を持っているのです。


① 骨格

人間の体はさまざまな骨格で構成されています。

それでは、人体を構成する骨はいくつあるのでしょうか?

新生児の骨は350個、成人の骨は206個あります。

それぞれの体の部位の機能に応じて、形、長さ、太さが異なります。

最大の骨は35~45センチの大腿骨、最小の骨は3~4ミリのアブミ骨。

大小さまざまな骨が、建物の骨組みのように、諸器官を支え、

外部からの衝撃などから人体を守っています。


②  血管

人間の体の隅々に至るまで、

血液を運ぶ血管が張り巡らされています。

それでは、ひとりの人の体の中にある血管をつなぎ合わせると、

どのくらいの長さになるのでしょうか?

なんと、それは10万kmになります。

地球の円周は4万kmですから、

血管の長さは、地球二回り半になるのです。

これは、驚異的な長さではないでしょうか。

血液は毎日地球何周分の道のりを旅しているのです。


③  遺伝子 (DNA)

人間の体は60兆個の細胞から成り立っています。

その一つひとつの細胞の核の中に

遺伝子情報を担うDNA (デオキシリボ核酸) が含まれています。

ゆがんだハシゴのような二重らせん構造のDNAは、

太さ2ナノメートルで髪の毛の4万分の1しかない糸状の物質です。


驚くべきことに、1つの細胞に含まれるDNAを伸ばしてつなげると、

その長さは174cmに達するのです。


それでは、ひとりの人の体の中にあるDNAの長さはどのくらいになるのでしょうか?

60兆の細胞の中にあるDNAをつなぎ合わせると、

174cm x 60兆 = 1京440兆cm (1044億km) になります。


これは、なんと、地球と太陽の距離 (1億5千万km) の700倍に相当します。

つまり、ひとりの人間の体には、

「地球と太陽を350往復する長さのDNA」

が組み込まれているのです。

まさに、気が遠くなるような、天文学的な驚異的長さです。


なお、一つの細胞の中のDNAが持つ情報量は、

1000ページの百科事典1000冊分にもなります。 

これまた驚愕する精巧なシステムです。


  (「数字でわかる人体の奇跡」 (株)アントレックス発行 より引用)


人体の骨格、血管、DNAの三つの構造を見ただけで、

それらはあまりにも驚異的です。

筋肉、神経組織、リンパ腺、脳髄、眼球、肺臓その他の各臓器、皮膚、毛髪、爪

その他の人体を構成する組織の構造を合わせて見るならば、

それらが突然変異の繰り返しで進化してきたとは

絶対に考えられません。


聖書に書かれているように、

全知全能の創造主なる神によって、

人体は完全にデザインされて創造されていることは

あまりにも明らかです。


だから、私たちは自分をかくもすばらしく完全に造ってくださった

創造主である父なる神に感謝しなければならないのです。

そして、決して自分を粗末に扱うことなく大切にしなければなりません。

それは同時に、隣人を大切にして愛さなければいけないことに帰結します。



旧約聖書 詩篇 から引用します。

139:13  それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

139:14  私は感謝します。 あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。

私のたましいは、それをよく知っています。

139:15  私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、

私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。

139:16  あなたの目は胎児の私を見られ、

あなたの書物にすべてが、書きしるされました。

私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。

 (エレミヤ書 1:5 参照)


  ・・・  「創造の冠として造られたアダム」

         http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E5%89%B5%E9%80%A0%E3%81%AE%E5%86%A0%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E9%80%A0%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0


  ・・・  「ラブクリエーション 公式サイト」 (創造科学の立場から聖書の真理を伝える)

         http://www.lovecre.jp/




           

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2012年03月19日

 「表現者意識を持とう」


・・ 「表現者」 という肩書
 
ある集会で、隣の人と名刺を交換しました。

名刺の肩書を見ると、 「表現者」 となっています。
 
「珍しい肩書ですね。 『表現者』 って、一体どんなお仕事ですか?」

と聞いてみました。
 

「これは仕事の肩書ではありません。 

私は自分自身を表現する者、すなわち表現者であるということです」

「なるほど。 でも、だれでも自分自身を表現していると思うのですが、

あえて 『表現者』 という肩書を付けているのはどうしてですか?」

「自分の思いや感情を生き生きと表現し、

相手に良いインパクトを与えるプロでありたいという意味です」

「はー、そうですか。 すばらしいですねぇ」
 
よく意味がわかりませんでしたが、

それ以上追求するのも失礼だと思い、わかったふりをしました。
 

その後、 「表現者」 ということばが妙に気になって、いろいろ考えました。

「表現者といえば、だれもが表現者のはずだ」

「それでは、私は自分の思いや感情を素直に表現しているだろうか?」

「もっと相手にわかるように、もっと強いインパクトを与えるように、

もっと生き生きと自分を表現すべきではないだろうか?」
 

・・ 「表現者意識」 を持とう
 
ホテルのレストランで定期的に行われている朝食会に、ある時、

画商歴四十年というユニークなキャラクターの方が参加するようになりました。

長年にわたって芸術作品を手掛けてきたこともあってか、

この方の感性と表現力は抜群でした。

だれもが体験する日常の当たり前の出来事を、

まるで映画や演劇で見せるように生き生きと語ってくれるのです。

十分ほどのスピーチで、参加者の心を魅了し、涙させ、おなかの底から笑わせます。

そのため参加者がどんどん増えてきました。

でも、事情でその方が出席できなくなったら、参加者が減ってしまいました。

プロ級の 「表現者」 になると、その影響力は測り知れないものですね。

それは同時に、主催者である私自身の表現力の足りなさを痛感させられました。
 

私たちはそれぞれが、自分なりに自分自身を表現しています。

聖書によれば、私たちは神の作品なのです。

神の作品であるからには、当然、一人ひとりが個性豊かな最高傑作であるはずです。

私たちは偉大な神の栄光を輝かすように造られているのです。

言い換えれば、私たちを通して、神はご自身のすばらしさを表現したいのです。


何と、私たちはそれぞれが、全能の愛の神を表現する 「表現者」 なのです! 

実に、驚くべきことです。


さあそれでは、今の自分を見て、

私たちは神を十分に表現していると言えるでしょうか?
 
「私は罪を赦された、ただの人間にすぎません。 

こんな私が神の栄光を現せるはずはありません」

こう思ってはいませんか?

それは、私たちの 「古い人、外なる人、肉なる人」 のことです。


神を信じることによって新しく造られた、 

「新しい人、内なる人、霊なる人」 である本当の自分は、

完全無欠なる神と霊的に一つとされ、

キリストの体の一部とされているほどにすばらしい存在なのです。

神と霊的に一つとされ、キリストの体の一部とされている私たちは、

それぞれ生まれつき神の栄光を輝かせているのです。


「私は神の表現者なのだ!」  という意識を強く持って、

至る所で、偉大なる愛の神の栄光を輝かせようではありませんか!

  

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2012年03月12日

 「問題を笑い飛ばそう!」


問題を笑い飛ばすことができたら、どんなにいいだろうか。

まじめな人ほど、問題を深刻にとらえて思い悩んでしまう。

そのうちに、問題を解決する気力も失せて、健康を害したり、

時には自殺にまで追い込まれていく。


私の先輩のMさんは、とても豪快な弁護士である。

毎日、朝から晩まで 「ワッハッハッハ!」 と大声で笑っている。

事務所でも、弁護士会館でも、裁判所の廊下でも、

M弁護士がいる時はいつも、彼の大きな笑い声が聞こえる。


ある時、私の後輩の弁護士Aさんが真っ青になって、私の事務所を訪ねてきた。

「大変なことになってしまいました。

ある事件で相手方と交渉しているうちに、うっかりして、

自分の依頼者の権利の時効期間が過ぎてしまったのです。

一体どうしたらよいのでしょうか?」

と言う。

裁判で相手が時効を主張すれば、こちらは完全に敗訴してしまう。

敗訴すれば、依頼者が損害を受けるだけでなく、弁護士としての自分の責任も追及されかねない。

まじめで誠実なA弁護士は、深刻に悩んでいた。


私は名案を思いつかず、先輩のM弁護士に相談した。

M弁護士はその話を聞いた途端に笑い出した。

「ワッハッハッハ! これは面白い! 

弁護士がよくこんな初歩的なミスをしたもんだ。

これは新聞の載るような特ダネだよ。 

ワッハッハッハ!」


同席したA弁護士があっけにとられていると、

M弁護士はその場で、事件の相手方の弁護士Bさんに電話した。

「ワッハッハッハ! B先生、今面白い話を聞いたんですよ。

弁護士が、係争中の債権の消滅時効を忘れたらしいんですよ。

実にこっけいですね。 ワッハッハッハ!」

と大笑いしている。


B弁護士はつられて返事をした。

「ワッハッハッハ! 

それは面白い。 そんな弁護士がいるんですね。

でも、もし自分がそんな立場にたったら笑えませんよね!」



M弁護士はすかさず、

「その弁護士というのが、あなたの相手方のA先生なんですよ。

かわいそうだから時効なんか主張しないで、

正々堂々と実質的な法律論で争ったらいかがですか、

ワッハッハッハ!」 と笑い飛ばした。


M弁護士の笑いに押されて、

B弁護士は自分の依頼者と相談して、

時効を主張せずに争うことにした。

最終的には裁判にならずに、

両当事者の納得のゆく和解が成立した。


実は、M弁護士は生まれつき非常に気まじめな性格で、

学生のころ強度のノイローゼになり、精神科医に通ったことがある。

いくら治療しても治らないMさんに対して、医師は最後の処方箋を渡した。

「あなたは何でも深刻に考えすぎます。 薬ではなかなか治りません。

いちばん良い治療法は、どんな物事の中にも面白いことを見つけて笑うことです」

Mさんはこれを忠実に実行し、無理にでも笑う習慣を身につけて、 

「笑いのプロ」 になった。


後に弁護士会の会長になったM弁護士は、クリスチャンではないが、

聖書を愛読書とし座右の銘としている。

「毎晩寝る前に聖書を読むと、なぜか心が落ち着くんだ」

と言っている。


聖書には、 

「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は身を枯らす」 

(箴言17:22) とある。

「笑いは百薬の長」 と言われ、 「笑う門には福来る」 とも言われている。

    
秘訣は、 「いつも主にあって喜ぶ」 (ピリピ4:4) ことである。

イエスとの絶えざる交わりによって、

「全能の愛の神は、どんな問題でも解決してくださる!」、

「イエスこそが、あらゆる問題の解決である!」

という確信が生み出されてくる。


こうして、私たちは問題を笑い飛ばすことができるようになる。



万物の創造主の前に、問題や障害の存在は、何の力もない。

かえって、父なる神は、それらを人間の益になるようにしてくださる。

(ローマの信徒への手紙、8:28)



だから、人間を愛する神は、三つのことを人間に求めている。

① いつも喜んでいること。

② 絶えず祈ること。

③ すべてのことに感謝すること。

(テサロニケの信徒への第一の手紙、5:16ー18)


だが、人間を憎むサタンは、三つのことを人間に求めている。

① いつも落ち込んでいること。

② 絶えず恨むこと。

③ すべてのことに不平を言うこと。

(「一生感謝」 ジョン・クゥアン著 小牧者出版 より引用)



神の求めに応じるのか、それとも、サタンの求めに応じるのか。

それは、各々の人の選択である。

  

Posted by アブラハムささき at 15:40Comments(7)TrackBack(0)

2012年03月07日

 天の家、 建築中 !


 < 人気の無料メルマガより転載 >

私たちの短い人生は、舞台の上の公演に似ています。

劇の中で、ある人は王の配役をし、ある人は市民の役をします。

劇が公演されている間は、その社会の秩序や身分は保たれます。


しかし公演が終わったらどうでしょう。

俳優たちは舞台から降り、王や市民の衣装を脱いでしまいます。

もう劇は終わったので、身分や秩序もなくなります。

誰が王であったか、誰が貧しい人であったかは重要ではなくなったのです。

重要なことは、誰が自分に与えられた役を上手に消化したかということです。

王の役よりも上手な演技をした人がいれば、

その人はすばらしい俳優だと評価されるでしょう。


このように、地上の人生で重要なことは、

決して大きな賜物や能力を持っていたり、

すばらしい環境を生きたりすることではありません。

与えられたところで、

それぞれどのように神様に従って生きたかが重要なのです。

義である神様は、その姿を評価してくださいます。


「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、

各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。

というのは、その日は火とともに現れ、この火が各人の働きの真価をためすからです」

(聖書/コリント第一3:12?13)


今日という日を、火で燃え尽きないもので建てていきましょう。

天に家を建設中! ( ^-^)ノ□



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2012年02月26日

 「いのち」 と 「かたち」



  ・・  イエスは言われた、

     「わたしを信じる者は…

     その腹から生ける水が、

     川となって流れ出るであろう」

     (ヨハネの福音書7:36)


「生ける水」 とは、

神の霊のことであり、

神の 「いのち」 のことです。

万物の創造主である永遠にして無限なる神の 「いのち」 は、

時間的に無制限 (永遠) であり、

量的にも無制限 (無尽蔵) です。

ギリシャ語原語の 「川」 は、単数形ではなく、複数形です。


「イエスを信じるなら、その人の心の奥底から、

神の 「いのち」 がどんどん満ちてあふれ出し、

多くの川のようになって、無制限に流れていくであろう」 

ということです。



「わたしがきたのは、羊にいのちを得させ、豊かに得させるためである」

(ヨハネの福音書10:10)


イエスはこう言われました。

ここで言う、 「豊かに」 も、原語では、 

「いっぱいに満ちる」 ということではなく、

「満ちて無制限にあふれ出る」 という意味です。


神の 「いのち」 は 一か所を満たすだけでなく、

そこからあふれ出て、すべてを満たしていく、

無制限の 「いのち」 です。

すべてのものを生かしていく、毎月豊かな実を結ばせていく、

無制限の 「いのち」 です。

(エゼキエル書 47:12)


神の 「いのち」 は、

必ずしも 「かたち」 を否定しませんが、

「かたち」 に閉じ込められることを嫌います。

なぜなら、神の 「いのち」 は本来、無制限であるからです。

「いのち」 は、 「かたち」 の中に閉じ込められると、

窒息して生かす力を失ってしまいます。

(エゼキエル書 47:11)


そうすると、 「いのち」 は、

その 「かたち」 から去って、

もっと自由に満ちあふれて流れることができる、

新しい 「かたち」 を求めていきます。


「かたち」 は 「いのち」 を満ちあふれさせて流れさせるための、器であり管なのです。

「かたち」 である器をふたで覆ったり、管を詰まらせてしまうと、

「いのち」 はそこに閉じ込められて、流れることができなくなるのです。


「いのち」 よりも 「かたち」 を大切にすると、

形式化、形骸化、律法化、儀式化、閉塞化が進行します。

そうすると、 「いのち」 はどんどん失われていきます。

そして、「いのち」 のない 「かたち」 は、

やがては崩れて消えていきます。


「いのち」 がふんだんに満ちあふれて流れつづけるためには、

「いのち」 の自由な流れに沿って、

「かたち」 を常に造り変えていかなければなりません。

「かたち」 よりも、 「いのち」 を大切にしなければならないのです。


人間的に言えば、 「いのち」 の現れが 「愛」 です。

「愛」 は与えれば与えるほど、周囲の人々を生かしていきます。

    そして、その人のうちにもどんどん増えていきます。

「愛」 を惜しんで与えないでいると、周囲の人々も生気を失っていきます。

    そして、その人のうちにもどんどん減っていきます。

「愛」 を惜しみなく与える人は、生き生きとして活力に満ちあふれていきます。

「愛」 を出し惜しみする人は、死んだようになって活力が失われていきます。


「いのちは血にある」 と聖書は言っています。

「いのち」 を運ぶ血液が、

体の諸器官の中を快調に流れることによって、

体全体に活力を与えているように、

「いのち」 は、 「かたち」 から 「かたち」 へと、

自由に流れていくことによって、 

すべての 「かたち」 に活力を与えていくのです。



  ・・・  「今週のみ言葉・・いま私に一番必要なもの」

        http://shalom.holy.jp/bible/n-page/index277.html

 



  

Posted by アブラハムささき at 22:13Comments(9)TrackBack(0)

2012年02月12日

 「かみ」  に 仕 え、 「とみ」  を 使 え 

          
  ・・ 「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」 

      (マタイ6:24)


「かみ」 は 「とみ」 を、人のために創造してくださっている。

「かみ」 から恵みとして与えられた 「とみ」 を、

人は自由に使い、これを享受することができる。

創造主である 「かみ」 が、

被造物である 「とみ」 よりも

はるかに大切であることは、言うまでない。

そもそも、 「かみ」 と 「とみ」 の価値を

比較すること自体が、愚かなことである。


ところが人は不信仰のゆえに、

目に見えない 「かみ」 よりも、

目に見える 「とみ」 を頼みとしがちである。

無尽蔵の富の創造主・所有主である 「かみ」 を愛するよりも、

いつ失われてしまうかも知れない、はかない 「とみ」 を愛してしまう。

その結果、人は 「とみ」 に仕えてしまい、さまざまな不幸が生み出される。

イエスはこの本末転倒を厳しく戒めている。

だから、 「とみ」 に惑わされないようにしなくてはいけない。


けれども、これを律法化すると、 

「貧は善、富は悪」 という間違った公式ができてしまう。

この公式にこだわると、福音宣教や社会事業の働きはなかなか進まない。

「とみ」 を得ることにも、 「とみ」 を使うことにも、消極的になってしまうからだ。


「とみ」 は、組織や社会の血液であると言うことができる。

「とみ」 が豊富で、 

「かみ」 との関係において正常に循環している組織や社会には、健全な活力がある。

「とみ」 が不足して、 

「かみ」 との関係において正常に循環していない組織や社会は、

いわば 「貧血状態」 になり、どんどん活力が失われていく。


世の中では、いともたやすく巨額の資金が流動している。

個人の外為取引高だけでも、毎日数十兆円に達している。

問題は、神の豊かな 「とみ」 が、人のエゴにより、

一部に集中して全体に循環しないことにある。

神の無尽蔵の 「とみ」 が、人の無知と怠慢により、

未発見、未発掘のまま放置されていることにある。


聖書においては、 「とみ」 そのものを悪とはしていない。

「とみ」 は 「かみ」 の祝福の一部であり、

感謝して受けるべきものであり、

決して忌み嫌うべきものではない。

「とみ」 を愛し、 「とみ」 に依存するあまり、

「かみ」 への愛、 「かみ」 への信頼が薄らいでしまうことが

悪なのだと、戒められているだけである。

「とみ」 を愛して、自分のためにこれを貯め込むだけで、 

「かみ」 を愛さないで、人々のために正しく使わないことが

悪なのだと、戒められているだけである。


旧約聖書に出てくるアブラハム、ヨブ、ダビデ、ソロモンなどのリーダーたちは皆、大富豪であった。

新約聖書をよく読むと、イエスは決して貧しくはなかった。

大勢の弟子たちを引き連れて旅をし、ユダを資金の管理人に定めて、

貧しい人たちに施す余裕すら持っていた。

お腹を減らせてイエスの説教を聞いていた

男だけで5千人、7千人という群衆に、

少しのパンと魚を増やして分け与えた。


イエスが物乞いをしたり、借金をして歩いたという記事は一つもない。

かえって、「かみ」 から任された 「とみ」 を、人は勤勉に働いて増やして、

それを 「かみ」 との関係において正しく使わなくてはいけないと、

イエスは語っている。


イエスが馬小屋の飼い葉おけの中で生まれたのは、

決して貧しさのゆえではなく、

宿屋が混んでいて泊る部屋がなかったからである。


「人を富ませるために、イエスは貧しくなられた」という聖書の記述は、

すべてをはぎ取られて素っ裸で十字架につけられたイエスのことを語っているのである。


「とみ」 の本当の所有権は、それを創造した 「かみ」 にある。

もともと、神はその所有する 「とみ」 の管理使用権を人に与えていた。

しかし、サタンにそそのかされて、人は 「かみ」 に反逆する大罪を犯したために、

「とみ」 の管理使用権は、サタンのものになってしまった。

その結果、人は額に汗して働いて 「とみ」 を獲得しなければならなくなった。


私たちは、信仰によって、

もっと積極的に 創造主・所有主である 「かみ」 に求めて 「とみ」 を獲得するべきである。

また、掠奪者・殺人者であるサタンから 「とみ」 を奪い返して、

人々を真に生かす神の国の前進のために、これを使うべきではないか。

「とみ」 を獲得する力もまた、 「かみ」 から与えられたものである。

(申命記8:18)


< 「かみ」 に仕え、 「とみ」 を使え >

これが、私たちのモットーであるべきである。


            
  

Posted by アブラハムささき at 18:16Comments(10)TrackBack(0)

2012年02月01日

 「あるがままのあなたが一番いい!」


  ・・  「神は自分のかたちに人を創造された。

       すなわち、神のかたちに創造し、

       男と女とに創造された」

       (創世記1:27)


このところビジネスや宣教で韓国に行く機会がふえました。

ソウルの街には、映画俳優やテレビタレントのように、

目鼻立ちが美しく整った若い人がたくさんいます。

なんと、韓国の若い女性の半数が整形しているそうです。

男性も整形する人がふえているそうです。


よく見ると、みんな似たような顔つきに見えます。

そのうち、なにか不自然なものを感じてきます。

「整形美人」 という仮面をしているという不自然さです。

この人はすごく奇麗だけど、きっと整形しているに違いない。

この人の素顔はどうなんだろうか?

この人が結婚して生まれてくる子どもは、どんな顔をしているんだろうか?

と、変なことが気になったります。
 

あなたは人の目を意識しすぎていませんか。

人の評価を気にしすぎていませんか。

人との競争心を動機として生きていませんか。

そうすると、 「こうしなければならない」 とか

「こうあらねばならない」 という外側の律法に縛られてしまいます。

いつの間にか本来の 「あるがままの自分という実像」 ではない、

自分で勝手にこしらえた 「あるべき自分という虚像」

を頑張って演じ続けなければならなくなってしまいます。

いつかは行き詰まり、燃え尽きてしまうことになりかねません。


「クリスチャンだからこうしなければならない」 とか、

「リーダーはこうあるべきだ」 という議論はすべて、

外から人を縛り付ける律法になりかねません。


確かに、 「ねばならぬ」 という律法は正しいのですが、

律法そのものは、あなたにそれを実行する力 (いのち) を与えてくれません。

ですから、 「ねばならぬ」 を頑張って実行しようとすればするほど、

仮面の自分を演じることになり、内面の愛と喜びと平安を失っていきます。

最後は、「ねばならぬ」 という律法によって人を裁き、

同じ律法によって自分も裁かれてしまうのです。
 

聖書は、 「あるがままのあなたが一番いいんだよ!」 と語っています。

なぜなら、神は、最高の傑作として個性ある 「あるがままのあなた」 を造ってくださったからです。

神の目には、神を信じている 「あるがままのあなた」 が最も高価で尊いのです。

「あるがままのあなた」 が、世の光として輝き、地の塩として役に立つことが神の目的です。


ですから、いつも神の愛の御手の中でゆったりとリラックスして、

本来の 「あるがままのあなた」 に戻りましょう。


イエスは十字架の上で、一切の 「ねばならぬ」 から、あなたを解放してくださったからです。
 
肩の力を抜いて、自然体でもっと自由に、喜んで生き生きと生きるようにしましょう。

それは決して、欲望の赴くままに生きるとか、怠けて状況に流されていくということではありません。


なぜなら、聖書によれば、 

「あなたの心には神の律法が刻み込まれている」 からです。

あなたの中に生きて働いておられる愛の律法であるイエスが、

「こうしたい」、 「こうありたい」 という積極的な願望をあなたに与え、

それを実現してくださるからです。


「あるがままのあなた」 をイエスにゆだねて明け渡していくならば、

あなたを通してイエスの栄光が輝き、

イエスのみこころ (愛の律法) が行われていくのです。

整形しなくても、神の愛に満たされていけば、

あなたの素顔の個性は、喜んで、限りなく魅力的に輝いていきます。


ですから、 「あるがままのあなたが一番いい!」 のです。





  

Posted by アブラハムささき at 20:54Comments(14)TrackBack(0)

2012年01月24日

 「母さん、死なないで!」


  < これはOさんの 「練炭自殺から復活した男」 の詳細版です >             


1.「父さん、生きててよかったね!」

キリスト教の洗礼を受けて早いもので、もうすぐ3年になります。

事業に失敗し、練炭自殺を図ってから4年になろうとしています。


24年前に個人事業をスタートして以来、私はずっと経営者でした。

サラリーマン時代は、東芝に在籍していた数年間にすぎません。

個人事業の当初の相棒は一攫千金型で、私はコツコツ型でしたので、数カ月で別れることになりました。


その後別の協力者を得て、一緒にパチンコ店向けの設備関係の下請け工事をやりました。

バブル時代が終わったころでしたが、パチンコ業界だけは不景気知らずで、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

パチンコ店の店長が、 

「パチンコ屋は儲かって儲かって仕方ないんです。 私も店長を辞めて経営者になりたい!」

と言っていました。

仕事はどんどん増え、工事のために二人で全国を回っていました。

人を増やそうと思い、知り合いの何人かに声をかけました。

不景気に入り始めた時期でしたので、二つ返事で人が増え、会社を設立しました。


その頃から出張続きで、家に帰るのは半年に一度のペースでした。

まだ結婚しても間もないのに、 「亭主元気で留守がいい」 になっていました。

全国展開になるとなおさら留守がちになりましたが、お金はちゃんと入れていましたので、

家内は文句も言わずに子育てに専念してくれました。

私は二人の息子たち (現在23歳、21歳) と一緒に遊んでやることもなく、

親父の存在感はほとんどありませんでした。

私だけ完全に家族から浮いていました。


そのうち北朝鮮問題やとばく性の問題で、

行政がだんだんパチンコ店を締め付けてくるようになりました。

パチンコ業界は大きな転換期を迎え、

ギャンブル性の高い人気の遊技台は使えなくなり、お客さんが一気に減りました。

パチンコ店の転売が始まり、大型パチンコチェーン店の倒産がありました。

銀行の貸し渋り、ファンドの撤退により、パチンコ店は自己資金で営業せざるを得なくなりました。

遊技台の購入費の支払いが精いっぱいで、設備投資するパチンコ企業は一気に減りました。


「パチンコ業界は必ず復活する!」

そう信じていた私は強気で頑張ってきましたが、

借り入れがどんどん増えて、会社を破産に追い込んでしまいました。

私の経営能力がなかったのが一番の原因です。


当時は海外を含めて四つの会社を経営していて、

従業員および従業関係者は300人を超えました。

そのため一つひとつの仕事の取り扱いが散漫になり、

何事も見切り発車でどんぶり勘定でやってきました。

いつも大金を懐に入れ、仕事をしながら遊びまわっていました。


それでも家内は私の夢を信じてくれて、

「父さんなら何とか危機を乗り越えてくれる!」

と期待していました。


巨額の負債を抱えてグループ会社が完全に行き詰まった時、

家内を心配させたくない一心で、保険金目当ての自殺を考えました。

負債総額は13億円で、私の個人保証額は7億円でした。

でも高額の事業者保険をかけていましたので、

自分が死ねば、かなりの保険金が入り社員も助かるし、家族も救われると思い、

静岡の山の中で、練炭自殺を図りました。


意識不明の私は発見者の通報により警察のヘリコプターで病院に運ばれ、

三日後に奇跡的に意識が回復したのです。

「まるで死後三日後に復活したイエスさまにそっくりだ!」

とよく言われます


幸か不幸か自殺は未遂に終わりましたが、

「父さん、生きててよかったね!」

と家内が言ってくれました。

こんなハチャメチャな私が生きていたことを喜んでくれたのです。

この事件の顛末については、

「父さん、生きててよかったね!」

というネットの証しに詳しく書きましたので、検索してお読みください。


今では誰もが吹き出すような笑い話になっていますが、当時は真剣そのものでした。

なにしろ大量の睡眠薬を飲んで車内に積んだ練炭に火をつけて、

血走った目で死に場所を探しながら車を走らせていたのですから。


自殺未遂の後、会社の債務を整理して、自分で志願してキリスト教の洗礼を受け、

「仮のクリスチャン」 になりました。

「仮のクリスチャン」、またの名、自称 「エセクリスチャン」 とは、

「聖書もろくに知らずに、イエスさまがどういうお方かもわからずに、

クリスチャンの仲間入りをしたくて、とりあえず洗礼だけ受けた者」

という意味です。


洗礼を受け、よい仲間が増えて、精神的にはすごく恵まれました。

「あなたはきっと、偉大な伝道者になる!」

と言われ、新約聖書の大伝道者 「パウロ」 というクリスチャンネームをいただきました。


それに気をよくして、一時は仕事そっちのけで、福音の伝道をしました。

駅前でも、空港でも、ホテルでも、キリスト教国の韓国でも、仕事の仲間たちにも、

あたりかまわず福音の文書を配りまくりました。

福音の意味もわからないままです。


不思議なことに、そんな私の伝道によって、洗礼を受ける人たちが大勢出てきました。

私の証しを読めばわかりますように、

実体は、 「パウロ」 ではなく、 「ピエロ」 なのですが。。。


しかし、現実の生活はというと、一向に仕事の目処が立たなく、

今度は個人の借金が増えて首が回らくなりました。

家内の強い要望で、子どもたちだけは大学を卒業させたい。

「収入が間もなく入るから、間もなく入金するから」

と言って家内を説得しながら、時が過ぎて行きました。

私の言葉を信じた家内は、手元に有るものはほとんど処分し、

しかもカードローンにまで手を出すようになりました。

今はセブンイレブンでバイトをしていますが、気休めの報酬しかもらえません。


クリスチャンになった私は、

「イエスさまを信じていれば、なんとかなる、きっとなんとかなる!」

と自分と家内に言い聞かせてきました。

ところがどういうわけか、借金は増える一方で収入の兆しがなかなか見えません。

クリスチャンの仲間たちが無理してお金の支援をしてくれましたが、焼け石に水でした。


あまりにも苦しくて、洗礼を受けたのに私は何度となく、お金の問題や人の問題で、

「あの時死んでいればよかったのに。 もう一度死にたい、なんとかして死のう」

と思いました。

私が死んでも、生命保険はすでに解約済みで、一円も入って来ません。

死ぬ意味もないし、人々に迷惑をかけるだけの負け犬になってしまいます。

でも私の自殺願望は日ごとに大きくなっていきました。

今から考えると、私の気の優しさ (弱さ) にサタン (悪魔) が付け込んで、

自己嫌悪から自殺へと追い込んでいたのです。


2.「母さん、死なないで!」

ある日実家に帰って家内と相談しました。

「死ぬ時は一緒に死のうね」 って。

そうしたら、自分の保険はまだ切れていないことに家内が気がついたのです。

「自分が死ねば父さんが助かる。 借金も返せる」

と家内は考えました。


あんまり 「死にたい、死にたい」 を私が連発していたので、家内をその気にさせてしまったのです。

言葉の力は恐ろしいものです。

今度は家内が、 「死にたい、死にたい」 と言い始めました。


一昨年8月に帰省した時に同じ話題になりました。

子どもたちも夏休みで家族がそろっていました。

当面のお金がどうにもならない話をしているうちに、

家内が 「もう死ぬ!」 って言い出したのです。

「じゃ僕も死のう」

売り言葉に買い言葉で、家の近くにある大きな橋から、海に飛び込むことにしました。


家族全員で死のうと、四人そろって一緒に橋に向かいました。

瀬戸内海にある上関島と山口県を結ぶ 「上関大橋」 という、長さ数百メートルの大きな橋です。

その橋は海から80メートルほどの高さにありました。


到着したとたん、橋の欄干幅10センチくらいのところに、家内が本当に欄干に上がったのです!

あわてて私も上がりました。

身長が150センチくらいしかない彼女にとっては、とても高いところだったに違いありません。

一緒に死ぬことしか頭にない私は、家内を助けようともせずに、

1メートルほど離れた位置に膝をガタガタ震えさせながら立ちました。


私は自殺未遂の経験はあります。

でもその時は死ぬのが怖くて、 「どうしたら楽に死ねるか」 を考えたのです。

インターネットで楽に死ねる自殺の方法を研究しました。

「日ごろ飲んでいた睡眠薬を少しずつためて約80錠にして、それを一気に飲んで、

寝ている間に練炭の一酸化炭素中毒で死ねば楽だろう」

こんな情けなくも勇気のない自殺計画を作ったのです。


家内は気丈な性格で恐れを知らないまっすぐな人間です。

私みたいな人間と結婚していなかったら、どれほど幸せな生活を送っていたのだろうか・・

と思い悩むこともあります。

息子は二人とも私に似て出来は悪いですが、正直者です。

兄貴は堅いばかり、弟はひょうきんで、内向性と外向性の正反対な性格の兄弟なんです。

それなのに、二人とも母さんが大好きで、今の年になっても一緒に遊びに行ったりしているようです。


その母親が橋の欄干に上って海に飛び降りようとしているのですから大変です。

それまでは一緒に死のうと言っていた子どもたちが、びっくりして大声で泣きながら、

「母さん、死なないでー!」

って、彼女の足にしがみつきました。

まさに、悲劇映画のクライマックスです。


あまりに大きな叫び声に、私は欄干から落っこちそうになりました。

子どもの必死の叫びに我に返った母親は、泣きながら欄干を降りて、子どもたちと3人でワーワー泣いていました。


その間、私は欄干の上で足を震えさせながら、

「落っこちたらどうしよう」

と自分の心配ばかりしていました。

結果的には落ちなくて良かった。

「生きてて良かった!」 ではなく、 

「落ちなくて良かった!」 と自分のことしか考えませんでした。


欄干から橋の上に降りた私は、子どもたちに聞きました。

「なんで父さんを止めてくれなかったのか!?」

二人とも返事もしてくれません。

子どもたちの父親に対する愛の欠如を強く感じた瞬間でした。

「くそっ! いっそ欄干から落ちて死んでいれば良かった・・」

と思いました。

今度は、喜劇映画のクライマックスです。


でも、自分がやりたいようにやってきて事業に失敗したわけですから仕方ありません。

仕事にかまけて子どもたちの世話はほとんどしてこなかった付けが回ってきただけです。

それにしても、私が原因で家内を死ぬ気に追い込んでしまって、大変すまないと思っています。

最後の瞬間に神さまが介入してくださって、家族全員が飛び降り自殺を免れたことを、心から感謝しています。


「母さん、生きててくれてありがとう!」

心からこう言いたい気持ちでいっぱいです。

母さんの飛び込みを阻止してくれた子どもたちにも感謝します。

また、私たちが自殺しないように真剣に祈ってくれたクリスチャンの仲間たちのお陰でもあります。

「イエスさまを信じていれば、なんとかなる!」 と言っていたことが本当になりました。


3.「すべてはうまくいっている!」

家庭では私の存在は無に等しいと知った時、

なんとかしてビジネスを成功させて、家内と子どもたちに自分の存在価値を知ってもらいたと思いました。

「父さん、よくやったね!」 とほめてもらいたいです。

これが次に書く私の証しの題名です。


実は、当面の資金繰りが厳しいだけだったのです。

近い将来にはやりきれないほどの大きなビジネスをたくさん抱えています。

目先の問題に縛られて、将来の希望が完全に目隠しされていました。

私に神への信頼と試練に耐える力が不足していただけなのです。

今ではビジネスブレイクに自信満々です。

必ず、 「父さん、よくやったね!」 の証しを書いて見せます。

そして家族全員に洗礼を受けてもらいます。


洗礼を受けてからいろいろありました。

「洗礼を受けたら、神さまの恵みで、とんとん拍子にすべてがうまくいく!」

そう期待したのは間違いでした。

むしろその逆で、なかなか自分の思い通りにはいきませんが、

自分の思いにはるかにまさる神さまの大きな愛の意志と計画が

実現しているというのが真実です。

こうして結局は、 「すべてがうまくいっている」 のです。


サタンは私を何度も死に追いやろうとしましたが失敗しました。

イエスさまが私と家族を守ってくださったからです。


「死にたい、死にたい」 

と口癖のように言っていたのに、私の友人たちが次から次に洗礼を受けているのです。

「洗礼受けて人生が変わった、物事の考え方が変わった、本当によかった。

オバマさんありがとう。 今度は友人を連れてくるから洗礼を授けてください。 

オバマさんよろしく!」

って、みんなから言われています。

彼らのビジネスも見る見る好転しています。

一昨年8月に洗礼を受けた友人が、二人の仲間を四国から洗礼のために連れてくると言っています。

彼はもう三人の洗礼志願者を持っています。 不思議ですがそれが現実なのです。


何よりもうれしいのは、

「私は絶対にクリスチャンにはならないからね!」

と頑強に言い張ってきた家内が、

私が韓国から買ってきた十字架のネックレスとブレスレットを身につけてくれていることです。

私の思いとは裏腹に、神の思いが実現しています。


本物のクリスチャンではない、もしかしたら 「エセクリスチャン」。

エセクリスチャンでないにしても、私はいまだに霊的に成長していない、 

「赤ちゃんクリスチャン」 です。

それが次から次にクリスチャンの赤ちゃんを産んでいるのです。

「赤ちゃんが赤ちゃんを産む!」

そんなこともあるんですね。

イエスさまが処女マリアから誕生したことを考えると不思議な話ではないのですが・・・


これからは自分の力でがんばるのをやめて、イエスさまにすべてをお任せしていきます。

小さな利己的な自分の思いではなく、

もっともっとすばらしく大きな神さまの愛のご意志とご計画が実現するように、

イエスさまとともに自然体で生きていきたいと思います。
                    

 (その後、またまた神さまの大々どんでん返しがありましたが、それは次回に証しします )  

Posted by アブラハムささき at 16:51Comments(14)TrackBack(0)

2012年01月09日

 「希望を具現化する力」

              

信仰とはなにか?

新約聖書ヘブル11:1の信仰の定義によると、

「信仰とは、希望を具現化する力である、それは見えない事実を見える証拠で立証する力である」 (私訳)


希望とはなにか?

希望とは読んで字のごとく、 「稀な望み」 である。 稀にしか実現しない望みである。

簡単にかなえられる望みは希望ではない。 それは単なる願望にすぎない。

希望とは簡単にはかなえられない、非常に実現困難な望みである。

だから、希望の99%以上は失望に終わる。 希望の実現可能性は1%未満にすぎない。

いや、時には人間的に見ればゼロパーセントかも知れない。


それでは、この1%未満の実現可能性しかない希望を具現化するにはどうしたらよいのか?

全力を尽くして、がむしゃらに頑張ることだろうか?

目標を設定して、その実現に向かって一生懸命に努力すること。

これが一般的な目標実現法である。

でも、そのような人間の努力や頑張りで実現する目標は、希望ではなく、願望にすぎないのではないか。

「本当の希望」 は人間の力ではとうてい実現できない 「極めて稀な望み」 ではないか。

それは万物を創造した全能の神によってしか実現できない高いレベルの望みではないか。


聖書によれば、 「希望を具現化する力」 は信仰である。

1%未満の実現可能性を具現化する力は、全知全能の神を信じる信仰である。

言い換えれば、信仰を持っているということは、

「希望を具現化する力」 を持っているということである。

そこまで神を信じ切っているということである。


聖書によれば、そもそも、人の思いに希望を与えてくださるのは、神ご自身である。 

その人を通して希望を実現してくださるのも、神ご自身である。 

希望とその実現とは、初めから終わりまで、神のみ心と神のみ業なのである。 

ゆえに、人に必要なのは、信仰だけである。 そして、信仰に伴う行動だけである。


アブラハム100歳、サラ90歳にしてイサクが生まれたのは、

神のことばを子どものように信じつづけた、アブラハムの純真な信仰による。

「どうしてもアメリカの奴隷制度を廃止したい!」 という希望を実現したのは、

そのために大統領にまでなった、リンカーンの熱い信仰による。 

なによりも、「人に永遠の命を得させ神との親子関係を復活させたい」 という

神の最大の希望をご自分の希望として、これを実現するために自ら十字架にまでかかられたのは、

イエスの深い信仰による。


本物の信仰には、

水をワインに変え、いちじくの木を枯らせ、嵐を押しとどめ、水の上を歩き、悪霊を追い出し、

病人をいやし、死人を生き返らせ、二匹の魚と五つのパンを増やして何千人に分け与え、

山をも動かすような力がある。 


希望は肉の目には見えないが、信仰はそれが実現している様をありありと霊の目で見て、

あたかも見えない事実を証拠で立証するような力である。

だから、希望を実現してくださる 「希望の神」 を心の底から信じる信仰を持つ人には、

希望は決して失望に終わることはない。


私は毎年元旦に、新年の希望や抱負を掲げてきた。

しかし、単なる願望は実現しても、 「稀な望み」 言いかえれば、 

「とてつもない神の望み」 は実現してこなかった。

本当の希望は本物の信仰によってしか具現化できないからである。


今年こそは、長年抱いてきた、 「神のとてつもなくすばらしい望み」 を、

本物の信仰によって具現化したいと決心した。
  

Posted by アブラハムささき at 22:22Comments(19)TrackBack(0)

2011年12月31日

 「一生感謝」  (幸せの扉を開く鍵)


  ・・  「主に感謝せよ。 主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで」

      「神の神であられる方に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで」

      「主の主であられる方に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで」

       (詩篇 136:1~3)


 < 幸せの扉を開く鍵 「一生感謝」 (ジョン・クゥアン著、小牧者出版) からの抜粋です >


 ・ 幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せなのです。

 ・ 世界で一番幸福な人は、感謝しながら生きる人です。

 ・ すべてのことに感謝する心を持っているなら、

   今、あなたがいるその場所がそのまま天国になります。

 ・ 感謝は、無 (ゼロ) から始めなければなりません。

   無 (ゼロ) から始めるなら、すべてのことが感謝になります。

   服一枚、ご飯一食、吸っている空気、暖かい日差し、美しい自然、

   これらすべてが感謝の対象になります。

 ・ すべてのことを感謝すれば、どんな問題も解決します。

 ・ 感謝する心は謙遜な人に与えられる、神さまからのプレゼントです。

 ・ 感謝することは脈拍を安定させ、胃腸の働きを助け、消化を促し、
   
   気分をさわやかにさせるため、健康になります。

 ・ たとえば、「感謝の祈り」 をして食事をする人には、それをしない人に比べて、

   そうするだけで驚くべき医学的効果があります。 (アメリカの医学調査の結果)

  ① 病気を予防し、免疫機能を向上させるホルモンが生み出される。

  ② 病気の進行を抑制し、病原菌の侵入を防ぐ抗毒素が生み出される。

  ③ 胃腸内の食べ物が腐敗したり発酵してりするのを抑制する、アンチセプチンが生み出される。

 ・ ですから、毎日一万回感謝すれば、どんな病気もいやされます。

 ・ 感謝したからといって、すぐに状況は変わらないことがあるかもしれません。

   でも、感謝する時、必ず

   私たち自身が変わって、私たちの心が豊かになって、

   人生と物事を見る視点と深さが変わっていきます。

 ・ 小さなことに感謝しなさい。

   大きなものを得るでしょう。

 ・ 足りない時に感謝しなさい。

   満たされるでしょう。

 ・ 苦しい中で感謝しなさい。

   問題が解決するでしょう。

 ・ 豊かな中で感謝しなさい。

   楽しみながら生きられるでしょう。

 ・ 「幸せの扉を開く鍵」、それは、 「感謝する心」 です。


  ・・  「他人に与えるものは、必ずいつか戻ってくる。

       人生はブーメランだ。

       私たちの考え、言葉、行動は、いつになるかわからないが、必ず返ってくる。

       そしてそれは、不思議に自分自身に命中する」

       (フローレンス・スコヴェル・シン)


 < 幸せの扉を開く鍵 「一生感謝」 (ジョン・クゥアン著、小牧者出版) 

   という本について、小牧者出版の吉田社長からお願いされ、推薦文を書きました。

   書く前にこの本の原稿を読んで、非常に感動しました。

   ジョン・クゥアン牧師は、その深い聖書知識と豊かな人生体験から、

   どんなことにも感謝することによって

   どれほど豊かな神の恵みを受け取ることができるかを

   たくさんの驚くべき実例をもって証言しています。

   大きな試練の中にある私たち日本人全員が、今読むべき、まさに最適の本です。 

   私にとって最高のクリスマスプレゼントでした。 

   本書は間もなく出版されますが、一人でも多くの方に読んでいただきたく推薦します >


参考 ・・・ 「主に感謝せよ」

        http://heartland.geocities.jp/livingwater_hikari/message29.htm


   

Posted by アブラハムささき at 16:00Comments(10)TrackBack(0)

2011年12月25日

 恵みを数えよう


1. 恵みを数えよう

問題に心がとらわれてしまい、どうしても頭から離れないことがあります。

絶えず問題のことを考えているのですが、なかなか解決のめどが立ちません。

そんな時は、神の恵みを数えましょう。

恵みを数えているうちに、問題から解放されていくからです。


今、生き、生かされている。

今日も太陽が輝いている。

着る物、食べる物があり、住む場所がある。

戦争もなく、地震もなく、危害や事故もない。

心臓が動き、血液が体中を循環している。

家族があり、友人がある。

美しい星空、澄んだ空気、緑の野山、大きな海原、きれいな愛すべき動植物。。。。


ゆっくり恵みを数えていくと、それは際限なくつづいていきます。

恵みを数えていくうちに、だんだんうれしくなってきます。

問題の負担感が小さくなって、次第に心が解放されていきます。

ついには、正面から問題に取り組んでこれを解決しようとする力と勇気が湧いてきます。


2. 雪の中で

ある時、非常に難しい事件を受任しました。

複雑な人間関係の問題がからんでいる事件で、

私自身もその問題に縛られて、身動きがとれなくなってしまいました。

どうやっても解決の見通しがつきません。

事件をどのように解決しようかと、いつも考えてばかりいました。


そんな時、家族とスキーに行くことになりました。

「スキーなんかして遊んでいる場合じゃないのに!」 

こう思いましたが、前々からの約束でしたので、行かざるを得ませんでした。


スキー場へ着いても気が晴れず、リフトに乗っても事件のことを考えています。

やがて、混雑したゲレンデで家族からはぐれてしまいました。

そのうちに、滑りながら事件のことを考えていたためか、

カーブをうまく曲がり切れずに、浅い谷間に落ちてしまったのです。


幸いけがはしませんでしたが、ショックのあまり起き上がれず、

新雪の中であおむけになったまま、天を見上げていました。

空からは、いつやむともなく無数の白銀の結晶が降り落ちてきます。


その瞬間です!

ふと我に返って、 「わぁ、すごいなあ!」 と思いました。

この数え切れない膨大な量の雪を降らせているのは、

万物を創造した天の父であると気がついたからです。

雪の結晶の形はそれぞれ異なっていて、同じものは一つもありません。

そんな個性のある雪を、かくも美しく造り、私たちのために惜しみなく降らせてくださる神!

一つ一つの雪の結晶は、神の恵みそのものであり、またその象徴でもあります。


「すごい! すごい!」 

感激が止まりませんでした。

口を大きく開けて、雪がどんどん入ってくるのを楽しみました。

「あなたの口を大きく開けよ。 わたしはそれを満たそう」

詩篇のことばが心に強く響きわたりました。


神の豊かさの中で、神の恵みに圧倒されてしまいました。

天国にいるようで、ずうっとそのままでいたいと思いました。

「天国とはこのような心の状態にちがいない。 天国は必ずある!」 

と確信しました。


私はあまりにもうれしくなって、事件のことなどはすっかり忘れてしまいました。

こうして浮き浮きした気分でスキーから帰ってきました。


神の恵みよって強められた結果、

その問題に具体的に取り組んで、

これを解決することができました。


3. 人生のスパイス

いろいろな問題にぶつかって、苦しんだり傷ついたりことがあります。

でも、神の無限の恵みに比べれば、それは例外中の例外にすぎないのです。

数え切れない恵みと、感謝すべきことに取り囲まれているからです。

それに気がつくと、無数の恵みの中のいくつかのいやな問題も、

本当は益をもたらす恵みなのだと思えるようになります。

それらは人生という神のごちそうを一層おいしくする

「スパイス」 なのだと思えるようになるのです。


「神は、神を愛する者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださる」

(ローマ人への手紙 8:28)


受け入れ難いいやな問題も、実は、益をもたらすすばらしい恵みなのです。


「恵みを数える」 とは、神の恵みに思いを向けることです。

神の恵みに思いを向けると、神の無限の恵みの世界に入っていくことができます。

キリストの無尽蔵の富 (エペソ人への手紙 3:8) の中に入って行くことができます。


問題にとらわれているのは、世の問題に心が向いているからです。

問題に心が向いていると、問題から問題へと、

呪いの世界に引きづり込まれていってしまいます。


問題から心が解放されるためには、

私たちの心の方向を、地から天へ転換すればよいのです。

「恵みを数える」 のは、そのための手段の一つです。

恵みの一つ一つを思い起こすことで、恵みから恵みへと、

神の祝福の世界へ引き上げられていきます。

私たちの心の方向を、地から天へ転換するのです。

そうすると、神の恵みによって強められ、

問題を解決する力を得ることができます。


こうして、問題を人生のスパイスとして楽しむことができるようになるのです。

 

  ・・・  「わがたましいよ、主をほめよ。 そのすべての恵みを心にとめよ」

       (詩篇 103:2)

       「あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」

       (テモテへの第2の手紙 2:1)


  

Posted by アブラハムささき at 00:49Comments(5)TrackBack(0)